県庁めぐり・和歌山 & 藤堂高虎の旅 (3/20〜21) 9) 大和郡山城 04年3月21日(日) |
◇ 大和郡山城 名手からJR和歌山線で、なおも東へ進みます。 橋本、五条を過ぎ、吉野口で近鉄に乗り換え、そこから北へ。 橿原神宮、大和八木を過ぎ、まだ時間に余裕があったので、大和郡山まで行きました。 5)猿岡城 で書いたように、僕は藤堂高虎ゆかりの城を訪ねています。 高虎が仕えていた豊臣秀長(秀吉の異父弟)は、紀州攻め、四国攻めの後、1585年(天正13年)に和泉、紀伊、大和、合計百万石の太守として郡山城に入城し、「大和大納言」と呼ばれました。 このときに高虎は粉河一万石の大名になったわけです。 秀長は天正19年1月22日に51歳で病死しました。 高虎は後継の秀保を補佐しましたが、文録3年、秀保は17歳の若さで死亡しました。 大和豊臣氏百万石は廃絶となり、高虎は高野山に出家しました。 秀吉は生駒親正を高野山へ送り、高虎に自分の臣下になるよう求めました。 2ヶ月後に高虎は下山し、伊予宇和島7万石の領主に任じられました。 郡山城は徳川譜代が城主となっていましたが、亨保9年(1724年)柳沢吉保の息子吉里が甲府より移り、以後柳沢15万石の居城として幕末に至りました。 城内には柳沢吉保を祭る柳沢神社があります。 大和郡山城は広大な城域を持つスケールの大きい城でした。 さすがは大和大納言百万石のお城です。 城内では桜祭りの準備が進められて、すでに開花している桜もありました。
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