2004年11月3日(水・祝) 名張・藤堂家邸跡 |
近鉄名張駅前には観阿弥の像が立っていました。 観阿弥は伊賀の出身で、妻の実家であるこの地で一座を建てたそうです。 名張市上小波田に「観阿弥創座之地」の碑が建っているそうです。
名張は藤堂家分家の城下町でした。 子供に恵まれなかった藤堂高虎は、丹羽長秀の三男であり羽柴秀長(秀吉の弟)の養子であった仙丸を養子としてもらい受け、名を高吉と改めました。 高吉は文禄慶長の役、関ヶ原の戦いを高虎とともに戦いましたが、高虎と側室松壽夫人との間に高次が生まれ、高吉には名張が与えられました。 名張藤堂家は11代高節で明治維新をむかえました。 現在残されている屋敷は、宝永7年(1710)の名張大火で焼失した後に再建された殿館の一部だそうです。
名張は江戸川乱歩生誕の地でもありまして、枡田医院の前に石碑が建っていました。
名張川へ出て、上流に向かって歩くと、左手に名張藤堂家の菩提寺、徳蓮院がありました。 津の寒松院や上野の藤堂家墓地にある墓は宝篋印塔でしたが、名張藤堂家の墓は石碑で、ちょっと意外でした。
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