伊豆旅行・「伊豆の踊子」を巡って(3)
05年3月20日(日)

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◇湯ヶ野温泉
 
 小説「伊豆の踊子」の舞台となっているのは湯ヶ野温泉です。
 国道沿いにある駐車場に車を停め、案内図に従い坂を下って橋を渡ると、川端康成が泊まった旅館福田屋があります。
 川端康成が湯ヶ野温泉に泊まったのは大正7年11月2、3、4日の3日間でした。

湯ヶ野温泉入口 左の道を行くと
階段があって 河津川を渡ると福田屋旅館


◇福田屋旅館
 福田屋の前には踊り子の座像がありました。
 当然ながら旅館は古い建物ですが、今でも営業されています。
 ロビーを見学させていただきましたが、「伊豆の踊子」にまつわる資料や、川端康成自筆の書が展示されていました。
 川端康成が泊まった部屋は2階にあり、この部屋で「私」は「踊り子の今夜が汚れるのであろうか」と悩ましい夜を過ごしたわけです。

福田屋前の踊子像 福田屋旅館
旅館内の展示 河津川越しに見る福田屋


◇踊子文学碑
 福田屋の隣には「踊子文学碑」が建ち、「湯が野までは河津川の渓谷に沿うて三里半あまりの下りだった」という康成自筆の文が刻まれています。
 除幕式には川端康成本人も出席しています。

◇共同浴場
 踊子が裸で飛び出した共同浴場は河津川の対岸にありました。
 福田屋との距離は近く、まあ丸見えですね (^_^ゞ。
 この共同浴場は現在でも地元の人に使われていて、湯ヶ野の人は自分の家の風呂にはいることは少ないという福田屋の女将さんの話でした。

踊子文学碑 踊子が裸で手を振った共同浴場
緑の屋根の建物 現在でも地元の人に使われている


 昭和15年(1940年)7月、31歳(?)の太宰治は福田屋旅館に宿泊し、「東京八景」を執筆しました。
 彼が福田屋を選んだのは、もちろん川端康成に対抗したもので、福田屋旅館のことを不必要に悪く書いています。
 福田屋旅館には太宰が宿泊した部屋も残されています。

 太宰は滞在費を持って迎えに来た妻の美知子とともに帰郷途中、谷津温泉に滞在中の井伏鱒二、亀井勝一郎を訪ねました。
 その夜の集中豪雨による河津川氾濫に寝入りばなを起こされ、二階の亀井勝一郎の部屋を目指し、彼らは水の中を逃げ惑いました。
 

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