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頼朝の『蛭ケ小島』、義経の『鞍馬山』と訪れたので、次は木曽義仲の『日義村』です。 日義村は明治初期に宮ノ越村と原野村が合併してできた村で、「朝日将軍木曽義仲」から命名されました。 9時36分の中央本線・特急『しなの83号』で出発。 ゴールデンウィークということで混雑を覚悟していましたが、車内はガラガラ。 臨時列車だからでしょうか? 木曽福島に11時14分着。 ここから先に行く列車は少なく、1〜2時間に1本くらい。 2つめの駅が『宮ノ越』です。
◇ 義仲館 宮ノ越は無人駅で、『木曽義仲公旗挙の地』の看板が立っています。 駅前にはタクシーもレンタサイクルもありませんので、これからの旅はひたすら歩くことになりました。 駅前の道を真っ直ぐ進み、旧中山道、木曽川を越えて行くと『義仲館』にたどり着きます。
巴御前と義仲の銅像が立つ『義仲館』の入場料は300円。 内部には人形とか刀とかが展示されているんですが、内容は充実したもので、この館でなくては知ることが出来ないようなものもありました。 木曽義仲は1154年に 武蔵国(埼玉県)に、源義朝の弟である義賢(よしかた)の次男として生まれました。 母は「小枝(さえだ)御前」。 幼名は「駒王丸」。 1155年8月16日 駒王丸2歳の時、父義賢は甥である悪源太義平により殺害されました。 母は駒王丸をつれて木曾の中原兼遠のもとに身を寄せ、駒王丸は兼遠の子、今井四郎兼平、樋口次郎兼光、巴御前らとともに育てられました。
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