木曽義仲紀行(1) 日義村 義仲館
05年5月1日(日)

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 頼朝の『蛭ケ小島』、義経の『鞍馬山』と訪れたので、次は木曽義仲の『日義村』です。
 日義村は明治初期に宮ノ越村と原野村が合併してできた村で、「朝日将軍木曽義仲」から命名されました。

 9時36分の中央本線・特急『しなの83号』で出発。
 ゴールデンウィークということで混雑を覚悟していましたが、車内はガラガラ。
 臨時列車だからでしょうか?

 木曽福島に11時14分着。
 ここから先に行く列車は少なく、1〜2時間に1本くらい。
 2つめの駅が『宮ノ越』です。

特急『しなの83号』   車内はガラガラ
木曽福島 松本行き普通列車

◇ 義仲館

 宮ノ越は無人駅で、『木曽義仲公旗挙の地』の看板が立っています。
 駅前にはタクシーもレンタサイクルもありませんので、これからの旅はひたすら歩くことになりました。
 駅前の道を真っ直ぐ進み、旧中山道、木曽川を越えて行くと『義仲館』にたどり着きます。

『宮ノ越』は無人駅 『木曾義仲公旗挙の地』の看板
『宮ノ越』の駅舎 駅前の道を真っ直ぐ進み
旧中山道を渡ると 木曽川が流れている

 巴御前と義仲の銅像が立つ『義仲館』の入場料は300円。
 内部には人形とか刀とかが展示されているんですが、内容は充実したもので、この館でなくては知ることが出来ないようなものもありました。

 木曽義仲は1154年に 武蔵国(埼玉県)に、源義朝の弟である義賢(よしかた)の次男として生まれました。
 母は「小枝(さえだ)御前」。 幼名は「駒王丸」。
 1155年8月16日 駒王丸2歳の時、父義賢は甥である悪源太義平により殺害されました。
 母は駒王丸をつれて木曾の中原兼遠のもとに身を寄せ、駒王丸は兼遠の子、今井四郎兼平、樋口次郎兼光、巴御前らとともに育てられました。

橋を越えて進むと『義仲館』 巴御前と義仲
アップ 内部の展示

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