木曽義仲紀行(2) 徳音寺&旗挙八幡宮
05年5月1日(日)

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◇ 徳音寺

 『義仲館』の隣に義仲の菩提寺『徳音寺』があります。
 義仲が母の小枝御前を弔った寺で、以後一族の菩提寺としました。

 境内の墓所には義仲を中央に、右隣に小枝御前と今井四郎兼平、左に巴御前と樋口次郎兼光の墓が並んでいます。
 義仲の墓は大津の義仲寺、木曽福島の興禅寺でも、見たことがあります。

徳音寺 鐘楼門 
馬に乗る巴御前 義仲、巴らの墓

◇ 旗挙八幡宮


 徳音寺から旧中山道に戻り、北(薮原方面)に向かって歩きますと、下のような案内表示がありました。
 宮ノ越ではしっかりした案内表示がされています。
 ここで右へ曲がり、中央線を越えて坂を登ってしばらく行くとしめ縄が巻かれたケヤキの大木がありまして、ここが『旗挙八幡宮』。
 義仲が、以仁王の令旨を受けて、1180年に、平家追討の旗揚げをした八幡宮です。

しっかりした案内表示 中央線と木曽川を見下ろす
宮ノ越駅の方面を望む 旗挙八幡宮に到着


 かたわらの案内板には、「義仲公は、このあたりの平地に城をかまえ、八幡宮を祭ったと伝えられている。十三歳にして元服、木曽次郎義仲と改め、治承四年(一一八〇年)一千余騎を従え、ここに平家打倒の旗挙をした。時に義仲二十七歳であった」と書かれています。

 しめ縄が巻かれた大ケヤキは樹齢約八百年と伝えられ、義仲の挙兵を見守ったとのこと。
 八幡宮自体は新しく小さなもので、この神社に一千余騎もの人数が集まったとはとても信じられない寂しさです。

八幡宮の参道 旗挙八幡宮
樹齢約八百年の大ケヤキ 『木曽義仲公館趾』の石碑

 この辺り一帯が、義仲、兼平、根井行親、兼光らの屋敷跡になるそうで、『木曽義仲公館趾』の石碑が立っていました。
 

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