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◇ 掛川駅 掛川市は市町村合併で新「掛川市」となりましたが、新しく併合された「大東町」に高天神城があります。 掛川駅から静鉄バス「大東支所」行きで、「土方(ひじかた)」バス停までおよそ30分。 武田信玄・勝頼と徳川家康が争った高天神城には興味がありましたが、静岡県と山梨県の県境周辺を捜しても見つけることが出来ませんでした。 まさか、こんな遠州灘に近い所にあろうとは考えもしませんでした。
◇ 高天神城 「土方」バス停で降り、前方に進むと鶴翁山(高天神城跡)が見えてきます。 水面に鶴翁山が映る右の写真は、さざ波がおさまるまでじっと待った努力の結晶ですのでよろしく (^_^) 。
今川家滅亡後、高天神城は徳川家康の支配する所となりました。 1571年(元亀2年)3月に、武田信玄が2万の大軍で押し寄せましたが、城主小笠原長忠はわずか1000の城兵でこの城を守りきりました。 信玄の後を継いだ勝頼は、1574年(天正2年)5月、2万5000人という大軍で高天神城を包囲。 小笠原長忠は家康に援軍を要請したものの援軍は送られず、結局長忠は降伏。 勝頼は信玄にも出来なかった高天神城奪取を成し遂げたのです。 やがて勝頼は1575年(天正3年)に長篠の合戦で惨敗。 家康は高天神城を6つの砦で包囲し、武田軍の補給を完全に断ち切ってしまいました。 城主岡部長教は降伏を拒み、1581年(天正9年)3月22日、激しい戦闘の末、城兵全員が討死しました。
現在の高天神城はよく整備されていますが、訪れる人は見あたりません。 「昔はもっと観光客が来たものだが」という地元の方のお話でした。 かつて「高天神を制する者は遠州を制する」と言われたそうですが、四方を崖に守られた要害の地です。 バスを降りてから本丸まで、30分くらいかかったでしょうか。 疲れました (^_^ゞ。
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