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◇ 吉岡彌生記念館 高天神城の2つ手前に「東京女子医大入口」なるバス停がありまして、ちょとビックリしたんですが、ここは看護学部1年生のキャンパスになっているようです。
キャンパス内に「吉岡彌生記念館」がありました。 東京女子医科大学の創設者、吉岡彌生はここ大東町(当時は遠江国城東郡嶺村)の出身で、父鷲山養斎は鷲山医院を開業していました。 1889年(明治22年)、彌生は医師を目指し、東京の済生学舎に入学しました。 当時、大学医学部を卒業すれば医者として開業することが出来ましたが、済生学舎のような医学校の卒業生は医術開業試験に合格することが必要でした。 そして済生学舎は、女子生徒を受け入れる唯一の医学校だったのです。 女性蔑視の風潮の中、彌生は21歳で日本で27番目の女医となることが出来ました。 1895年(明治28年)、彌生はドイツ語の教師であった吉岡荒太と結婚し、昼は学校、夜は診察という忙しい生活を送ることになります。 1900年、彌生の母校である済生学舎は、風紀の乱れを理由として、女子学生の入学を拒否しました。 彌生は女医を目指す者の道を閉ざしてはならないとの使命感から、1900年12月5日、東京女医学校を創立しました。 その後も栄光と苦難の日々が続きますが、長くなるのでカット (^_^ゞ。 1959年(昭和34年)5月22日、彌生は88歳でその生涯を終えました。
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