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◇ 湊川神社 JRで神戸駅まで移動します。 神戸駅から湊川神社は近かった。 延元元年(1336年)5月25日、楠木正成は湊川の戦いで戦死しました。 以来、地元の人々は正成(大楠公)のお墓を大切にしてきました。 元禄5年(1692年)水戸光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を建立しました。 明治維新の前後には、多くの勤王志士達がお墓に詣でました。 明治元年(1868年)、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、当時のお金で千両という大金を下されました。 こうして明治2年(1869年)、湊川神社が創建されたのです。
湊川神社の正面右側に大楠公墓所があります。 水戸光圀は「大日本史」の編纂を行い、正成を深く尊敬していました。 光圀は元禄5年(1692年)佐々介三郎(助さんですね)を遣わし、「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を建立しました。
◇ 楠木正成戦没地 湊川神社の本殿の左奥が「楠木正成戦没地」です。 延元元年(1336年)5月25日、楠木正成は「湊川の合戦」で足利直義の大軍と16度にわたる激しい合戦を交えますが、多勢に無勢で味方はわずか73人にまでになってしまいます。 もはやこれまでと覚悟した正成はこの地にあった民家に入り、 「七生報国」を誓って弟の正季と刺し違えました。
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