『須磨・一ノ谷紀行』 05年6月19日(日)
5) 湊川神社

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◇ 湊川神社

 JRで神戸駅まで移動します。
 神戸駅から湊川神社は近かった。

 延元元年(1336年)5月25日、楠木正成は湊川の戦いで戦死しました。
 以来、地元の人々は正成(大楠公)のお墓を大切にしてきました。

 元禄5年(1692年)水戸光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を建立しました。
 明治維新の前後には、多くの勤王志士達がお墓に詣でました。

 明治元年(1868年)、明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、当時のお金で千両という大金を下されました。
 こうして明治2年(1869年)、湊川神社が創建されたのです。

湊川神社 湊川神社


 湊川神社の正面右側に大楠公墓所があります。
 水戸光圀は「大日本史」の編纂を行い、正成を深く尊敬していました。
 光圀は元禄5年(1692年)佐々介三郎(助さんですね)を遣わし、「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を建立しました。

大楠公墓所 入口 亀の上に「嗚呼忠臣楠子之墓」
正面から 右側から
水戸光圀公像 湊川神社 本殿


◇ 楠木正成戦没地

 湊川神社の本殿の左奥が「楠木正成戦没地」です。
 延元元年(1336年)5月25日、楠木正成は「湊川の合戦」で足利直義の大軍と16度にわたる激しい合戦を交えますが、多勢に無勢で味方はわずか73人にまでになってしまいます。
 もはやこれまでと覚悟した正成はこの地にあった民家に入り、 「七生報国」を誓って弟の正季と刺し違えました。

楠木正成戦没地 この地で刺し違えた
 
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