『須磨・一ノ谷紀行』 05年6月19日(日)
4) 須磨寺・源平の庭

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◇ 山陽電鉄須磨寺駅

 山陽電鉄で須磨寺駅まで移動します。
 駅前に「平重衡とらわれの松跡」の碑がありました。
 平家の副将軍、平重衡は生田の戦いから逃げてきて、ここで捕らえられたらしい。

 須磨寺へ通じる須磨寺前商店街は賑やかな門前町でしたが、阪神大震災ではほとんどの家が倒壊し、犠牲者も出たそうです。

「平重衡とらわれの松跡」の碑 須磨寺前商店街


◇ 須磨寺・源平の庭

 須磨寺は平安時代の開山以来1100年以上の歴史があり、 「須磨のお大師さん」として親しまれている寺だそうです。
 また寺域には源平ゆかりの史跡が多く残されています。

 朱塗りの竜華橋を渡って進むと、左手に有名な「源平の庭」があります。
 源氏の武将熊谷次郎直実が、沖の方へ馬を泳がせている若い平家の武将を見つけ、「後ろを見せるとは卑怯なり、返せ、返せ」と呼びかけている場面です。

朱塗りの竜華橋 左手に「源平の庭」
敦盛と直実 「返せ返せ」と呼びかける


 宝物館には敦盛の遺品「青葉の笛」が展示されており、本物かどうか定かではありませんが、感慨に浸ってきました。

 「弁慶の鐘」は、一の谷の合戦の際、弁慶が山田庄安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いで来て陣鐘の代用にしたという鐘です。

宝物館 青葉の笛
弁慶の鐘 仕掛け人形


◇ 村上帝社

 山陽電鉄須磨駅に戻り、近くの「村上帝社」へ。
 親戚の言い伝えによると、我が家の祖先は村上天皇なんだそうです (^_^;。
 だから、村上天皇ゆかりの地は見逃すことが出来ません。

 村上天皇は平安中期の天皇で、摂関政治を抑えて天皇親政を行い「天暦の治」という治世をもたらしました。
 《陰陽師》に出てくる安倍晴明が使えた天皇に当たるような気がします。

 「村上帝社」には平安末期の琵琶の名人であった、太政大臣藤原師長が入唐を諦めた伝説が残されているそうです。
 この人は後に平清盛のクーデターで名古屋近辺に流され、枇杷島の地名とも関係があるらしい。

山陽電鉄須磨駅 村上帝社
JR須磨駅より 須磨海岸
 
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