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今回は「額田女王」をテーマに旅をしてみました。 彼女が見たものを、自分も追体験してみたいわけです。 近鉄・橿原神宮駅からバスに乗って明日香村に向かいます。
今回の旅の教科書は山本藤枝さんの「万葉のうたひめ」。 額田女王が皇極天皇の宮廷に出仕しはじめたのは皇極3年(644年)。 彼女は14歳でした。 翌645年6月12日、中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変(いつしのへん)」 が起こりました。 惨劇の舞台となったのが飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)です。 伝飛鳥板蓋宮跡は、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)の跡とも考えられています。
飛鳥寺は596年、蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺です。 この庭で行われた蹴鞠の会で、中大兄皇子と藤原鎌足の有名な出会いがあったとされています。 飛鳥寺に近い「入鹿の首塚」の後ろの丘は、父蝦夷の邸宅があったとされる甘樫丘(あまかしのおか)です。
甘樫丘の標高は147メートル。 豊浦展望台からは三輪山から大和三山と藤原京、遠くには生駒、二上、葛城、金剛の山々を望むことが出来ます。 額田女王ら万葉の人々も、この絶景を楽しんだことでしょう。
明日香村は彼岸花が盛りでした。 川原寺は、斉明天皇(皇極天皇が重祚)が板葺宮の焼失後に移り住んだ川原宮の跡に建てられ、その後天武天皇により増築・拡充されたと考えられています。 斉明天皇に仕えた額田女王も当然この地で暮らしたわけです。
川原寺の向かいに建っているのが、聖徳太子誕生の寺とされる橘寺です。 橘寺と彼岸花は、写真ファンの有名な被写体です。
明日香村から近鉄・飛鳥駅に向かう途中に「天武・持統天皇陵」がありました。 額田女王、天智天皇、天武天皇の三角関係は大変に有名です。
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