明日香へ戻る きまぐれ日本紀行05 ホームページへ |
天智6年(667年)、天智天皇は都を近江大津に移しました。 このとき額田女王は「味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに ‥‥」と詠いました。 彼女が通った道は「山辺の道」だそうですが、歩くと疲れるので (^_^;、JR桜井線で三輪山から天理、奈良、平城山と移動してみました。 三輪山は天理までは見えていました。 意外だったのは、二上山、生駒山など、飛鳥の西側に当たる山がよく見えていたことでした。 額田女王の歌には出てきませんからね。
途中で天理市に寄ってみました。 町中には黒い法被を着た人が多く、さすがの門前町です。 神社のような外観の「天理よろづ相談所病院」には驚きました。 教団の人には「憩の家」と呼ばれているようで、「よろづ相談所病院はどこですか?」という質問に、「憩の家は‥‥」と答えられると、会話がかみ合っていないような気持ちになりました。
JR奈良駅で奈良線に乗り換え、次の駅が「平城山(ならやま)」です。 どこに平城山があるのかも分かりませんでしたが、夕暮れも迫り、今回の旅はここまでとしました。
|