県庁めぐり 鹿児島 (2) 2005年12月31日(土) |
◇ 城山展望台 「城山」にはお城があったわけではなく、鶴丸城の後ろの山なので「城山」という名前が付いたようです。 明治10年(1877年)9月1日、西南戦争で敗北を喫し鹿児島に逃げ帰った西郷軍は城山を占拠し、山頂に本営を構えました。 城山は桜島の展望台として有名ですが、僕が鹿児島にいる期間に桜島が晴れることはありませんでした。 しつこく何回か登ったのですが、桜島が一番よく見えた写真を載せておきます。
◇ 西郷隆盛洞窟 「西郷隆盛洞窟」は城山の中腹にあり、西郷達が山頂の本営を降り、最後の数日を過ごした洞窟です。
明治10年(1877年)9月24日、政府軍が城山を総攻撃したとき、西郷隆盛を始めとする40人は洞窟前に整列し、岩崎谷を下りました。 西郷は股と腹に被弾し、「晋どん、晋どん、もう、ここでよか」と言い、別府晋介の介錯でその生涯を終えました。 享年51歳(満49歳)。
西郷らの遺体は浄光明寺境内(現在の鳥居のあたり)に仮埋葬されました。 その後1879年に西郷を始めとする薩軍の墓を現在地に改葬し、あわせて参拝所を設けました。 参拝所は1922年に「南州神社」となっています。
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