2006年1月2日(月) 県庁めぐり 熊本 (5) 夏目漱石 と 小泉八雲 |
◇ 夏目漱石 明治29年(1896年)4月、愛媛県尋常中学校(松山中学校)から第五高等学校に赴任してきた夏目漱石は、池田駅(現上熊本駅)に降り立ちました。 上熊本駅前には夏目漱石の銅像が建っています。 漱石が見た熊本の第一印象が「森の都」だったとのことです。 6月には中根鏡子と結婚し、新婚生活を始めました。 漱石はその後4年3ヶ月にわたって熊本に住み、6回の転居を繰り返しました。 現在では漱石記念館となっている内坪井の家では、長女筆子が生まれています。 漱石は明治33年(1900年)7月に東京に戻り、9月に英国留学に出発しました。
◇ 小泉八雲 小泉八雲は明治24年(1891年)11月に、島根の松江中学校から第五高校中学校の英語教師として熊本に赴任してきました。 八雲が41歳のときです。 熊本に来て最初に住んだ家が小泉八雲旧居として、鶴屋デパート裏の蓮政寺公園に建っています。 昭和35年に解体の危機にさらされたものを、有志が寄付を募り、現在の位置に解体移築したそうです。 当時の五校の校長は講道館柔道の創始者として有名な嘉納治五郎でした。 八雲が明治27年1月に行った「極東の将来」という講演は大変有名で、記念碑が熊大構内に建っているそうです。 明治27年(1894年)10月、八雲は『神戸クロニクル』に職を得て、熊本を去りました。 漱石は八雲が五校を去った2年後に五校に赴任してきたことになります。
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