2006年1月2日(月) 県庁めぐり 熊本 (4) 細川家の墓 加藤清正の墓 |
◇細川家の墓(立田自然公園) 寛永14年(1637年)、細川忠利は熊本城近郊の下立田に一寺を建立して、祖父藤孝夫妻と母玉子(ガラシャ)の霊廟をつくり、泰勝院と名付けました。 4代光尚は正保3年(1646年)に忠興がなくなると、忠興の霊廟も玉子の傍につくり、泰勝院を瑞雲山泰勝寺と改めてました。 4人の霊廟は『四つ御廟』と呼ばれ、並んで建っています。 ガラシャ夫人が愛用した手水鉢は、京都の屋敷から運ばれてきたそうです。 明治時代の神仏分離令によって泰勝寺は廃止され、細川家の別邸となって今日に至っているそうです。
◇加藤清正の墓 本妙寺・浄池廟 本妙寺は加藤清正が天正13年(1585年)に父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後54万石の大名となってから熊本城内に移し、清正の死後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。 清正公がまつられている浄池廟(じょうちびょう)までは、「胸突雁木(むなつきがんぎ)」と呼ばれる176段の石段を上るそうですが、僕はタクシーで直接行ってしまいました (^_^; 。 明治の神仏分離令による廃仏毀釈でこの一帯は破壊され、浄池廟は明治27年再建されたそうです。 細川家の泰勝寺、清正の浄池廟と、お殿様の菩提寺も容赦しないこの地方の廃仏毀釈の激しさには、宗教に対する恐怖心を覚えました。
浄池廟からさらに300段の階段を登った広場に、加藤清正公の銅像があります。 気力も体力もない僕は、またまたタクシーで行ってしまいました (^_^ゞ。 この高台からは、眼下に広がる熊本市街と雄大な阿蘇山を望む絶景を堪能することが出来ました。
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