2006年1月2日(月) 県庁めぐり 熊本 (3)
神風連資料館・宮本武蔵の墓
 
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◇ 神風連資料館

 神風連の乱は「帯刀禁止令」、「散髪令」などの欧化政策に憤激した旧士族の反乱です。
 1876年(明治9年)10月24日夜、太田黒伴雄や加屋霽堅らに率いられた神風連170人余りは、鎮西鎮台司令官種田政明宅、熊本県令安岡良亮宅を襲撃し、種田・安岡らを殺害しました。
 その後、全員で熊本城内にあった鎮西鎮台を襲撃し、砲兵営を制圧しました。

 しかし翌朝になると、政府軍側では兒玉源太郎の指揮下で態勢を立て直し、本格的な反撃を開始。
 加屋らは銃撃を受け死亡し、首謀者の太田黒も重傷を負い、自刃しました。
 この事件に呼応して秋月の乱、萩の乱が発生し、翌年の西南戦争へとつながりました。

 神風連の乱は三島由紀夫の四巻からなる『豊饒の海』の第二巻『奔馬』に取り上げられました。

 桜山神社には首領、太田黒伴雄以下123名の墓が整然と並んでおり、一人で奥の墓まで歩いていくのは怖かったです。
 資料館はいつもながらの正月休みでした。

桜山神社 神風連資料館
整然と並ぶ神風連の墓  


◇ 宮本武蔵の墓

 宮本武蔵は正保2年(1645年)5月19日、千葉城の屋敷で亡くなりました。
 享年62歳でした。

 武蔵は参勤交代のために整備された大津街道沿いに葬られています。
 死後も、細川藩主を守りたいとの遺言で、この地に埋葬されたとのことです。

 武蔵の墓を中心に武蔵塚公園が整備されています。
 公園には二本の剣を持った武蔵の像が建ち、墓石には「新免武蔵居士石塔」と刻んでありました。
 
武蔵塚駅 武蔵塚公園
  二本の剣を持った武蔵の像
宮本武蔵の墓 新免武蔵居士石塔
 
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