大学病院巡り 福岡・大分 (10)城下町秋月 緒方春朔と種痘
2008年1月1日(火)

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 西鉄で福岡に帰ろうかと思ったのですが、路線図を見て秋月が近いことに気づきました。
 1876年(明治9年)10月に、熊本県で起こった神風連の乱に呼応して旧秋月藩の藩士宮崎車之助ら400名によって起こされた「秋月の乱」にはかねてより興味がありましたが、その秋月がこんな所にあったとは (@o@)。
 西鉄で甘木まで移動し、バスは本数が少ないので、タクシーで秋月に向かいました。

西鉄久留米駅 西鉄甘木駅


 秋月の入り口に「秋月眼鏡橋」があります。
 野鳥川の氾濫に困っていた秋月藩では、家老宮崎織部が長崎の石工を雇い、文化7年(1810年)にこの石橋を築造させました。

秋月眼鏡橋 ちょっとアップ


 鎌倉時代からこの地を秋月氏が納めていましたが、寛永元年(1624年)に豊臣秀吉の命により、黒田長政の三男である長興が福岡藩より5万石を分知され立藩しました。

 「筑前の小京都」と呼ばれる秋月は、こぢんまりとした趣のある城下町でした。
 観光の中心は「杉ノ馬場」で、秋月城に沿った約500mの道路の両側には200本に及ぶ桜の木が並び、春にはさぞ美しい桜のトンネルを見ることが出来るでしょう。

 秋月藩の藩医緒方春朔(1748年〜1810年)は、ジェンナーより6年前に種痘を始めた、我が国における種痘の創始者で、全国への普及に尽力したそうです。
 
杉ノ馬場 秋月城趾 瓦坂
長屋門 緒方春朔屋敷跡
 
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