大学病院めぐり・福井&富山 (2)北の庄城趾 福井城趾
2007年2月24日(土)

前へ  福井・富山の目次  気まぐれ日本紀行07  ホームページへ  次へ
 
 
◇北の庄城趾

 あまった時間で、福井市内観光。
 まずはJR福井駅に近い柴田神社。

 柴田勝家は1575年、織田信長に越前の国の内49万石を与えられ、北の庄に大規模な天守を持つ城を築きました。
 1582年(天正10年)信長の死後、後継者をめぐって秀吉に破れながらもお市の方を得て、北の庄に暮らしました。
 しかし好色な秀吉がお市の方を諦めるはずがありません。
 勝家は1583年4月20,21日の賤ヶ岳の合戦に敗れ、同月24日、北の庄城の天守でお市の方と共に自害しました。

北の庄城 発掘現場 槍を持つ柴田勝家像
右へ廻ると 柴田神社
お市の方 北の庄城趾記念館
 
 
◇福井城趾

 越前松平氏の居城であった福井城には、県庁が建っています。
 なんという歴史を軽視した暴挙でありましょう。
 観光地としての福井が無視されているのも、当然の報いでしょう。

 その償いのためか、福井城の堀端には公園があり、横井小楠と由利公正の像が建っていました。
 幕末の藩主、松平春嶽は「幕末の四賢侯」として称えられました。

福井城趾 横井小楠と由利公正
 
前へ  福井・富山の目次  気まぐれ日本紀行07  ホームページへ  次へ