大学病院めぐり・福井&富山 (6)早百合姫と神通川 2007年2月25日(日) |
この旅行でどうしても見ておきたかったのが、護国神社の裏にある「一本榎」。 護国神社では、ちょうど結婚式が行われていました。
護国神社の横から神通川に向い、神通川から松川を引き入れる水門の近くに、その一本榎はありました。 いまは「磯部のさくら」として、松川沿いの桜並木が有名なようです。 成政の愛妾早百合姫は、小姓竹沢熊四郎との密通を疑われ、この榎(二代目だとか)に吊され、鮟鱇切りにされたのでした。 鮟鱇は吊してから水を飲ませ、皮を剥いで料理をするそうです。 早百合姫の一族も、ことごとく獄門に処せられたそうです。 死ぬ間際に早百合姫は、歯をかみ砕き、血涙を流し、「己成政此の身は此処に斬罪せらるるとも、怨恨は悪鬼と成り数年ならずして、汝が子孫を殺し尽し家名断絶せしむべし」と叫んだそうです。 早百合姫の恨みは深く、その怨念は「ぶらり火」となって、神通川の辺りを彷徨よったそうです。 この早百合姫伝説は前田家が先の領主である成政を貶めるために、創られた伝説ではないかとも言われています。
神通川下流域の富山県婦中町において、大正時代から昭和40年代にかけて奇妙な病気が多発しました。 その病気は中年女性に多発し、骨が脆くなり、すぐに骨折し、患者が「痛い、痛い」と泣き叫んだ事から、地元の開業医である萩野昇により「イタイイタイ病」と名づけられました。 脈を取れば持ったところで骨折し、胸を打診すれば肋骨が折れる、という惨状だったそうです。 当初は風土病とされていましたが、後に三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)の汚染された排水によるカドミウム中毒と判明しました。 昭和43年、患者たちは三井金属に対し、賠償を求めて裁判を起こしました。 3年後の昭和46年、1審の判決で患者側が勝訴。 翌年に判決が確定しました。
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