防衛庁 市ヶ谷記念館(2)三島事件
2007年6月13日(水)

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 一階の見学を終わり、二階への階段を上ります。
 かつて三島由紀夫もこの階段を上ったのです。
 
二階への階段 大本営陸軍部の看板


 昭和45年(1970年)11月25日午前11時過ぎ、三島由紀夫は森田必勝ら「楯の会」メンバー4名とともに、陸上自衛隊東部方面総監部の総監室を訪れました。
 彼等は総監・益田兼利陸将を縛り上げ、人質にとって立てこもりました。
 様子を見に行った幕僚を三島が日本刀で追い払う時に付けた傷が扉に残っていました。

  「旧便殿の間」が三島事件の舞台
ここに三島と森田必勝の首が並んで 三島の刀によって付けられた傷


 三島は自衛官に向けて30分間演説することを要求し、一番左の窓からバルコニーに出て、自衛隊決起を促す演説を始めました。
 しかし、自衛官たちの反応は冷たいものでした。
 7分で切り上げた三島は総監室で割腹自殺をします。
 介錯は森田必勝が行いましたが二度失敗し、古賀浩靖が首を切り落としました。
 享年45歳でした。
 森田必勝も後を追い、古賀浩靖が介錯しました。
 
一番左の窓からバルコニーに出て バルコニーで演説したが
 
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