板東『第九』紀行(1) はじめに & うず潮と大鳴門橋 2007年6月16日(土) |
◇はじめに 1914年(大正三年)、サラエヴォで起きたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻暗殺事件を契機とし、第一次世界大戦が勃発しました。 イギリスと日英同盟を結んでいた日本は、極東におけるドイツの拠点である青島要塞に攻撃を加えました。 77日に及ぶ攻防戦の後、ドイツ軍は1914年11月7日に降伏しました。 青島で降伏した捕虜は総数4600名余に上り、習志野、名古屋、青野原(神戸の西)、板東、似ノ島(広島市の沖)、久留米の6カ所のドイツ俘虜収容所に収容されました。 徳島県の板東俘虜収容所には1000人を超す俘虜が収容されました。 収容所長の松江豊寿大佐は戊辰戦争で賊軍となった会津藩の出身であり、「ドイツ人も国のために戦ったのだから」と、俘虜たちを寛大に扱いました。 板東俘虜収容所ではこの松江所長の計らいもあって、様々なドイツ文化が花開きました。 2年半に34回のオーケストラ演奏会が開かれましたが、中でも日本の音楽史に燦然と輝いているのが『第九』の日本初演です。 ◇うず潮と大鳴門橋 名古屋発 午後2時。 新神戸でJRバスに乗り換え、明石海峡大橋経由で鳴門に向かいます。
午後5時 「鳴門公園」到着。 ところが、観光施設は全て5時で閉店。 困ってしまいましたが、タクシーの運転手さんに千畳敷公園に連れて行ってもらいました。 大鳴門橋を眼下に見下ろす、絶好の展望台です。 この日は午後5時に大潮がある事は分かっていました。 最初はほとんど流れもなかった海が、徐々に右(太平洋)から左(瀬戸内海)に流れ出しました。 流れはどんどん激しさを増し、そのスケールの大きさは「大自然の驚異」のようなものでしょうか。 大鳴門橋の右側あたりに渦潮が発生するそうです。
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