大学病院巡り 福岡・大分 (5)岡城と滝廉太郎 2007年12月31日(月) |
続いて大分駅からJR豊肥本線で豊後竹田に向かいます。
豊後竹田といえば、もちろん『荒城の月』で有名な岡城趾です。 1185年(文治元年)、緒方三郎惟栄が源義経を迎えるために築城し、その後、志賀貞朝が入城して大がかりな改修を加え岡城と名付けました。 以来17代260年間にわたり志賀氏が統治しました。 豊臣秀吉の時代の文禄3年(1594年)摂津国から中川秀成(賤ヶ岳の闘いで戦死した中川清秀の子)が移封され、明治維新まで13代277年間中川氏(岡藩7万石)の居城となりました。 勝手に田舎町の小さなお城だろうと予想していましたが、どうして険しい断崖に石垣を高く築き、峰々を繋いだ巨大な城跡で驚きました。 この日は風が強く、峰の部分は狭く防護の柵なども無いため、高所恐怖症の僕としてはひたすら恐ろしかったですね (^_^ゞ。 晴れた日には祖母山、阿蘇、久住山などが一望できるそうです。
滝廉太郎が父・吉弘に連れられ、東京から竹田に転居してきたのは明治24年、廉太郎12歳のときでした。 これから名曲「荒城の月」は岡城をモチーフとしたと言われるようになりました。 二の丸に滝廉太郎の像が建っています。
廉太郎が明治27年(1894年)に15歳で上京するまで暮らした屋敷が、瀧廉太郎記念館となっています。 この日は年末の閉館でしたが、どう見ても記念館には見えず、タクシーの運転手さんと首をひねりながら周りを探してしまいました。 表札によれば、この家には瀧さんが住んでいるようです。
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