島原の乱&阿蘇紀行 (13)大矢野島・天草四郎の故郷 2008年5月5日(月・祝) |
本渡バスターミナルから熊本行きの特急バス「あまくさ号」に乗車します。 このバスは1時間に2本かな、本数が多くて便利です。 熊本までは2時間半の予定でしたが、天草五橋を越えたあたりから渋滞が始まりました。 次の目標は天草四郎の故郷である大矢野島にある「天草四郎メモリアルホール」。 ガイドブックによれば閉館時間は5時なんですが、渋滞はひどくなる一方です。 大矢野島に入ったあたりから塩田が多く見られました。 バスが「天草四郎公園前」のバス停に着いたのは4時50分くらいだったでしょうか。 何としてでもホールに入らなくては、と丘の上にある「天草四郎メモリアルホール」目指して急ぎます。 ところが、この時期の閉館時間は6時になっておりまして (@o@)、余裕を持ってホールに入ることができてしまいました。
「天草四郎メモリアルホール」自体はそれほど感心しませんでしたが、ここでしか手に入らない資料があるはずだと売店を探し、上天草市史大矢野町編3「天草島原の乱とその前後」という本を買いました。 どんどん荷物が重くなっていきますが、この本は大変優れた資料でした。 天草四郎が原城で討たれたとき、傷を負った四郎の側には一人の女が付き添っていたそうです。 この女性は何者だったのでしょう? イエス・キリストにおけるマグダラのマリアでしょうか。 四郎の首は母親や姉によって四郎と確認され、原城外に札を付けて晒され、その後長崎に晒されました。 この母親や姉を含む四郎の一族は、皆殺しになったそうです。
メモリアルホールに接して天草四郎公園があり、天草四郎像と天草四郎の墓がありました。 近くには「天草四郎旧居の跡」もあったようです。 高台の公園からは島原湾の夕陽が美しく眺められました。 「かつて天草四郎もこの夕陽を眺めたのだなあ」という感慨に浸ることができるのが史跡巡りの醍醐味です (^_^) 。
大矢野観光を終え、高速バスで熊本に向かいます。 この頃になると、渋滞も緩和してきました。 バスの窓からは島原半島の普賢岳が見えていましたが、逆光になり写真は撮れませんでした。 また前方には下の写真のように2つの山が見えていました。 一つは熊本の金峰山(標高665m)だということは確認しました。 熊本に到着しまして、夕食は吉野家の牛丼。 吉野家の牛丼を食べるのは何年ぶりでしょうか? 「つゆだく」と注文するのを忘れてしまったのは残念でした (^_^; 。
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