漱石公園 夏目漱石終焉の地
2008年9月15日(月・祝)

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 地下鉄東西線早稲田駅前の「地下鉄早稲田駅前」交差点の近くに「夏目漱石誕生の地」の碑が建っていました。

 夏目漱石は慶応3年(1867年)、「馬場下横町」の名主をしていた夏目家の末子として生まれました。
 
地下鉄早稲田駅前 右端の吉野家の前に
夏目漱石誕生の地の碑 案内板


 吉野家の前の道が夏目家に由来する「夏目坂」ですが、このあたりで道が分からなくなりました。
 道路案内をデジカメで撮影して、タクシーを拾いました。
 予想どおりこのタクシーが漱石公園を知りません。
 デジカメの地図を参考に、めげそうになる運転手さんを励ましながらウロウロと公園探しです。
 
夏目家に由来する「夏目坂」 この地図が頼り


 たどり着いた漱石公園は狭い小路にある、それでも立派に整備された公園でした。
 これだけの公園なら、周辺にもっと案内表示をするべきでしょう。

 明治40年(1907年)朝日新聞社に入社した夏目漱石は、早稲田南町のこの家に引っ越しました。
 そして「三四郎」以後の作品はこの家で書かれました。
 この家では漱石を慕う若い門人が集う「木曜会」が開かれ、「漱石山房」と呼ばれました。

 漱石は大正5年(1916年)12月9日に胃潰瘍が悪化して死亡しました。
 享年49とは若いことです。
 今だったら胃潰瘍に効く薬はたくさんあり、漱石は長生き出来たでしょうに。
 
漱石公園 夏目漱石胸像
  猫 塚
 
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