愛媛の旅 9)松山/坂の上の雲・松山城  09年5月6日(水・休)

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 やっと松山まで戻ってきましたら、駅の改札はマドンナで、後ろに坊ちゃんが立っていました (@o@)。
 坊ちゃんとマドンナのカップルは、街のあちこちに出没しておりました。
 観光案内人らしい。

 いま松山では司馬遼太郎の『坂の上の雲』がトレンドです。
 NHKスペシャルドラマとして2009年11月29日(日)から、3年の予定で放映されるそうです。

 『坂の上の雲』は、松山出身の秋山好古、秋山真之の兄弟と、正岡子規の3人を主人公に、明治時代の青春群像を描いた小説。
 秋山好古は日本騎兵を作り上げた人物。
 秋山真之は日露戦争で活躍した、海軍の戦術家。

 僕は昔読んだことがあるけれど、焦点が散漫で、あまり出来の良い作品だとは思いませんでした。
 
マドンナと坊ちゃん スペシャルドラマ『坂の上の雲』


 『坂の上の雲』ミュージアムまで出来ていると聞いて、覗いてきました。
 秋山兄弟では地味すぎて展示するものもなく、内容は空虚ですね。
 小説の文章を長々と読まされるだけ。

 中では「信や、貧乏がいやなら、勉強をおし」という一文が気に入って、子供が受験の頃に言っておけば良かったかな、と今さらながら反省したりして (^_^ゞ。

萬翠荘の入口を入ると 3人組が立っている
ミュージアム 広い内部空間 信や、貧乏がいやなら、勉強をおし


 萬翠荘は、大正11年(1922年)に旧松山藩主松平家15代当主、久松定謨(さだこと)伯爵によって建てられたフランス式洋館。
 
 『愚陀仏庵』は、明治28年(1895年)夏目漱石が松山中学校に英語教師として赴任していた時下宿していた上野家の離れを、萬翠荘の裏手に復元したもの。
 明治28年8月27日から10月17日までの52日間、正岡子規が病気療養のため、この建物に同居しました。
 1階に子規、2階に漱石が住んだそうで、閑寂な良い建物かと思いました。
 
萬翠荘はフランス式洋館 萬翠荘の裏手にまわり
石段を上がると 愚陀仏庵 1階に子規、2階に漱石


 勝山(城山)山頂に本丸を構える松山城は、津山城(岡山県津山市)、姫路城と並んで、日本三大平山城に数えられています。
 江戸時代のお殿様は久松松平家で、家康の母お大の方の再婚により生まれた、家康の異父弟の家系です。

現在、江戸時代の天守閣が残っているお城は、弘前城 松本城 犬山城 丸岡城 彦根城 姫路城 松江城 備中松山城 丸亀城 高知城 伊予松山城 宇和島城 の12城で、「現存十二天守」と呼ばれているそうです。
 僕は今回の旅行で、丸亀城 高知城 伊予松山城 宇和島城と4つのお城を回ったのでした (^_^) 。

 松山城は巨大な敷地を持ち、ロープウェイかリフトで山頂に登ってから、また長く歩かなくてはなりませんでした。

ロープウェイのりば リフトで山頂へ
   
   


 下の写真はタクシー運転手さんに教えてもらった撮影スポットから撮った松山城と市電ですが、交通量の多い道路からの撮影で、命懸けで撮った写真です (^_^; 。



 秋山兄弟の生家は昭和20年の松山空襲で焼失しましたが、2005年(平成17年)に『秋山兄弟生誕地』として復元されました。
 庭には秋山兄弟の銅像が立ち、住居の内部は公開されています。

秋山真之中将胸像 秋山好古大将騎馬像
 
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