備中松山城 & 備中高梁
2010年 2月 7日(日)

気まぐれ日本紀行10  ホームページへ  現存十二天守
 
 
 現在、江戸時代の天守閣が残っているお城は、弘前城 松本城 犬山城 丸岡城 彦根城 姫路城 松江城 備中松山城 丸亀城 高知城 伊予松山城 宇和島城 の12城で、「現存十二天守」と呼ばれているそうです。

 09年のGWに四国のお城を回り、残りも少なくなってきたので、今年になって残りのお城を集中的に回っています。
 まずは備中高梁にある備中松山城です。

 岡山から伯備線に乗り、備中高梁駅に近づくと、標高430mの臥牛山頂に建つ備中高梁城が見えてきます。
 これからあそこまで登るのかと思うと、クラクラしました。

臥牛山頂に白いお城が見える 備中高梁駅


 駅前からタクシーに乗り、松山城登山口(ふいご峠)まで到着。
 あとはひたすら山登りを(30分ほど)することになります。

タクシーで松山城登山口まで到着 あとは山道をひたすら歩く
備中高梁の街を見晴らす 突然、石垣が見当てくる
山頂に立派な石垣が  


 天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。
 鎌倉時代、秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって今の天守の姿になりました。

 戦国時代には毛利元就の支援を受けた三村家親、元親の親子が領有しましたが、山陰と山陽とを結ぶ要衝にあり、宇喜多直家、毛利元就、織田信長など有名な武将がこの城を争いました。
 中でも「備中兵乱」が有名なんだそうです。

備中松山城 天守閣
2階への階段 2階の広間


 登山口までタクシーを呼びまして、あとは駆け足市内観光です。
 武家屋敷には、江戸時代後期に建てられた旧折井家などの屋敷が並んでいて、当時の武士の生活を偲ぶことが出来ます。
 受付の人形が急に動いたのにはビックリしました (@o@)。

武家屋敷 旧折井家 江戸時代の人々


 頼久寺(らいきゅうじ)は、足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つです。
 戦国時代の領主であった三村家親、三村元親らのお墓があるそうです。

 頼久寺の国指定名勝の庭園は、有名な小堀遠州初期の作だそうです(1605年頃)。
 遠州は備中国奉行を勤めていたようです。
 
頼久寺 小堀遠州の庭


 「備中の小京都」と呼ばれる高梁は歴史と自然に恵まれた静かな街で、多くの映画のロケ地となったそうです。
 『男は辛いよ』では第32作『口笛を吹く寅次郎』(マドンナ・竹下景子)が撮影されました。

薬師院 『男はつらいよ』ロケ地の碑
 
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