越前丸岡城(元国宝)
2010年 4月14日(水)

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 「現存十二天守」めぐりの最後となったのは越前丸岡城です。

 丸岡城は1576年(天正4年)、北の庄(福井市)城主柴田勝家の甥である勝豊により築城されました。
 現存する最も古い天守閣とされ、昭和9年に国宝に指定されましたが、昭和23年の福井大震災で倒壊。
 昭和30年に修復再建されました。

 JR福井駅前から丸岡行きのバスに乗り、「丸岡城」のバス停で降りると、目の前に天守閣がありました。
 桜の花は米原あたりでは満開でしたが、北に行くに連れてどんどん散ってきまして、「丸岡城では1週間前が見頃」だったそうです (@o@)。
 地理的に見て、不思議な話だと思いました。

JR福井駅 桜まつり開催中だが
桜は散っていた  

 
 丸岡城の天守閣石垣のそばに、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」の書簡碑が建てられています。
 徳川家康譜代の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門が、長篠合戦陣中から妻あてに書き送ったもので、簡潔で要領を得た手紙の見本として有名です。
 この「お仙=仙千代」が後に丸岡藩主(本多成重)となったために、この書簡碑が建てられたようです。

 丸岡町はこの「一筆啓上書簡碑」をヒントに町おこしをしようと「日本一短い『母』への手紙」を平成5年(1993)に募集したところ、全国から3万2236通の手紙が寄せられ、出版された書簡集はベストセラーとなりました (^_^) 。

天守閣の前に「一筆啓上」書簡碑 石段を上って
階段にロープが (@o@) 天守閣から
天守閣出口から庭を見る  
芸術写真? 一筆啓上茶屋 福井人セット
 
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