岡山/オランダお稲 と オランダ通り
2011年3月21日(月・祝)

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 シーボルトの娘お稲(文政10年・1827年〜明治36年・1903年)は医術の道を志し、宇和島(卯之町)においてシーボルト門下の二宮敬作から医学の基礎を学びました。
 やがて彼女は産科を学ぶため弘化2年(1845年)、同じくシーボルトの高弟である岡山の石井宗謙のもとに移りました。

 岡山でお稲は嘉永4年(1851年)まで、6年8ヶ月にわたって産科を修行しました。
 当時おいねは20歳前後でした。

 おいねが住んだのは岡山表町商店街のあたりで、今では「オランダ通り」と名付けられています。
 通りの正面に見えるのは「岡山シンフォニーホール」です。

 しかし、この街でお稲は師である石井宗謙に強姦され、娘たかが生まれました。
 
岡山駅の桃太郎 オランダ通り。正面はシンフォニーホール
この建物の窓の間に オランダおいね医術修行の地
 
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