太宰治『津軽』 落ち穂拾い 2013年5月4日(土)
1)浅虫温泉 椿館

太宰治関連史跡  落ち穂拾い目次  気まぐれ日本紀行13  ホームページへ  次へ
 
 
 快晴の名古屋から到着した青森空港は小雨が降っていました。
 バスで青森駅へ。
 かつての東北本線は「青い森鉄道」となっていました。
 
青森空港 JR青森駅
青い森鉄道 青森駅  

 
 最初の目的地は浅虫温泉です。
 『津軽』には、「秋になって、私はその都会から汽車で三十分くらいかかって行ける海岸の温泉地へ、弟を連れて出掛けた。そこには、私の母と病後の末の姉とが家を借りて湯治をしていたのだ。私は、ずっとそこへ寝泊まりして、受験勉強をつづけた。私は、秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても、中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。私の学校ぎらいは、その頃になって、いっそうひどかったのであるが、何かに追われている私は、それでも一途に勉強していた。私は、そこから汽車で学校へかよった」と書かれています。
 
 津島家の人びとが湯治に泊まった旅館「椿館」は浅虫の街外れにありました。
 この旅館は棟方志功が愛した宿でもあり、昭和十六年頃より毎年夏に家族で逗留し、多くの作品を描き残したそうです。
 廊下には多くの作品が展示されていました。

 また「椿館」は明治天皇が明治9年7月の東北巡行の際に宿泊された旅館でもあり、関連資料が展示されていました。
 
「青い森鉄道」浅虫温泉駅 浅虫温泉駅
津島家の人びとが湯治に泊まった「椿館」 歴史を感じさせる門構えです
廊下に展示された棟方志功の作品 明治天皇関連資料

 
 『津軽』には浅虫の海岸について次のように書かれています。
 「日曜毎に友人たちが遊びに来るのだ。私は友人たちと必ずピクニックにでかけた。海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさへ、葡萄酒をのんだ。弟は声もよくて多くのあたらしい歌を知つてゐたから、私たちはそれらを弟に教へてもらつて、声をそろへて歌つた。遊びつかれてその岩の上で眠つて、眼がさめると潮が満ちて陸つづきだつた筈のその岩が、いつか離れ島になつてゐるので、私たちはまだ夢から醒めないでゐるやうな気がするのである」

浅虫海岸 左は「湯の島」 眼がさめると潮が満ちて‥‥


 地元の方ご推薦の「ろくさん食堂」で三色丼を頂きましたが、このウニは絶品で、2007年に礼文島で食べたウニを思い出しました。
 
地元の方ご推薦の「ろくさん食堂」 三色丼 ウニが絶品


 そのうち空が晴れてきましたので、東北新幹線「新青森駅」から弘前まで行ってみました。
 途中で岩木山が見えましたが、山頂まで見えたのはこの日だけでした (;o;)。

東北新幹線「新青森駅」 山頂まで見えたのはこの日だけ
 
太宰治関連史跡  落ち穂拾い目次  気まぐれ日本紀行13  ホームページへ