太宰治『津軽』 落ち穂拾い 2013年5月5日(日) 2)青森港 赤い絲モニュメント |
観光案内所でもらったマップによれば、青森観光物産館「アスパム」の裏にある「青い海公園」に、「赤い絲プロジェクトモニュメント『ふたり』」なる像があるそうです。 前にもレポートしましたが「赤い糸の伝説」は僕の大学入試の和文英訳の問題として出題されまして、僕は何とか英文を書き、大学に合格したわけです (^_^) 。 僕の人生を左右した文章と言っても良いでしょう。 それだけに2009年9月の「続・太宰治の『津軽』を巡る」では一生懸命訪ね回りまして、「青い海公園」の東にある「聖徳公園」、「海の記念日発祥の地」こそがその場所だと結論づけたのでした。 ところが、観光案内所のおじさんによれば、「聖徳公園」は何回も場所が変わっているそうで (@o@)、僕の確信は木っ端みじんに吹っ飛んでしまいました (^_^; 。 おじさんは「モニュメントはむかし桟橋があったところに建てられたと思う」と言っていましたが、そのまま信じるわけにもいきません。
「青い海公園」は青森港に面した広大な公園で、小さなモニュメントを探すのは大変でした。 やっと見つけ出したモニュメントは扁平な凧みたいな像でした。 近くに説明の石碑がありまして、次のよう根書かれていました。 このモニュメントは、青森市と函館市のツインシティ(双子都市)提携20周年を記念して制作したもので、旧制中学を青森市で過ごした太宰治(1909-1948)が小説「思ひ出」の中で、弟礼治と青森港桟橋から海峡を渡る連絡船を眺めながら、運命の女性と結ばれる”赤い絲(いと)”について語り合った挿話を基に、函館と青森の両市民の協力により、お互いの絆を深めるモニュメントとして、両港にそれぞれ設置したものである。
赤い糸のモニュメントは青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の方に向かって立っています。 八甲田丸は1988年に廃止された青函連絡船の岸壁に繋留されており、このあたりに桟橋があったのでしょうか? 護岸工事のために公園化され、昔のことは分からなくなっているのでしょうが、正確なところが知りたいものです。
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