太宰治『津軽』 落ち穂拾い 2013年5月5日(日) 3)碇ヶ関温泉 柴田旅館 小山初代との仮祝言 |
本日は奥羽線を南に下り、秋田県との境にある碇ヶ関温泉から大鰐温泉に戻ります。 碇ヶ関駅の前にはタクシーがなく、というより誰もいなくて困りましたが、よくよく探すとタクシー会社の建物があって、運転手さんがテレビを見ていました。 ということで、太宰治と小山初代の仮祝言が行われた柴田旅館に向かいました。
1930(昭和5年)11月28日、太宰治は銀座のカフェー・ホリウッドの女給「田部あつみ」(19歳)と江ノ島に近い小動岬でカルモチンによる心中自殺を図り、太宰は生き残り、あつみは死亡しました。 彼らが会ったのは3日前の11月25日でした。 太宰はその前日の11月24日に兄文治から、分家除籍を条件に青森から出奔させた小山初代との結婚を強いられたのでした。 この芸者との結婚は(愛人ならいざ知らず)資産家の実家を持ち高学歴の太宰にとって、不本意なものだったと思われます。 田部あつみも愛人との間に問題を抱え、人生に絶望し、死にたいもの同士が出会ってしまったのでしょう。 生き残った太宰は自殺幇助罪に問われましたが、起訴猶予となりました。 しかし一人の人間を死なせてしまったことは、太宰の人生に深い傷跡を残しました。 太宰は津軽に連れ戻され、碇ヶ関温泉柴田旅館で静養しました。 そして十二月に、この旅館で小山初代と仮祝言を挙げました。 初代だって(いくら自殺未遂をされても)こんな条件の良い結婚を逃すわけにはいきません。 そして東京で暮らすことになるのですが、津島家は初代を戸籍に入れることをしませんでした。
碇ヶ関温泉はかつては南津軽郡だったのですが、市町村合併で「平川市」という聞いたことのない市になっていました。 運転手さんの話では街の中を流れている平川から取った名前で、それほど違和感はないとのことでした。 |