太宰治『津軽』 落ち穂拾い 2013年5月5日(日)
4)大鰐温泉 ヤマニ仙遊館

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 JR大鰐温泉駅前にはピンクのワニが建っていました。
 大鰐温泉は歴史あるスキー場で有名ですが、第三セクターによる経営が破綻し、2010年3月に財政健全化計画を作成しています。
 平成の大合併においても借金が問題となり、近隣市町村との合併が成立しませんでした。
 
JR大鰐温泉駅 大鰐温泉スキー場


 『津軽』には大鰐温泉について次のように書かれています。
 「大鰐は、津軽の南端に近く、秋田との県境に近いところに在つて、温泉よりも、スキイ場のために日本中に知れ渡つてゐるやうである。山麓の温泉である。ここには、津軽藩の歴史のにほひが幽かに残つてゐた。私の肉親たちは、この温泉地へも、しばしば湯治に来たので、私も少年の頃あそびに行つたが、浅虫ほど鮮明な思ひ出は残つてゐない。けれども、浅虫のかずかずの思ひ出は、鮮やかであると同時に、その思ひ出のことごとくが必ずしも愉快とは言へないのに較べて、大鰐の思ひ出は霞んではゐても懐しい。‥‥」

 津島家の宿「ヤマニ仙遊館」は大鰐町の街外れにありました。
 今回の旅行では浅虫温泉、碇ヶ関温泉、大鰐温泉と回りましたが、津島家の人びとは街外れの旅館を好んだようです。

 玄関のガラス戸を開けて、女将さんに「日帰り入浴はありますか?」と聞いたところ、「昼にお湯を入れ替えますので、昼に入浴は出来ません」との返事で、さすがの老舗旅館だと感服しました。
 広間の写真を撮らせて頂きましたが、歴史を感じさせる重厚な建物で、斜陽館を思い出しました。
 
津島家の宿「ヤマニ仙遊館」 裏は平川に面している
斜陽館を思い出させる 歴史を感じさせる重厚な建物
 

 弘前高校生だった太宰治は、1929年(昭和4年)12月10日に下宿で最初の自殺未遂事件を起こしています。
 事件の数日後、太宰は母親に連れられて大鰐温泉で静養し、1月7日まで滞在しました。

 小山初代は1925年(大正14年)に大鰐町の大鰐尋常小学校を卒業し、母の勧めで青森の料亭「玉屋」で働くようになりました。
 そして1927年(昭和2年)に、当時旧制弘前高等学校の1年生だった太宰治出会うことになります。

 大鰐温泉には碇ヶ関温泉と同じように、街の中を平川が流れていました。

 「大鰐温泉もやし」は江戸時代から有名だそうで、もやしラーメンを食べてみました。

街の中を平川が流れる もやしラーメン
 
 
 JR大鰐温泉駅の隣りにある弘南鉄道大鰐駅から、弘南鉄道で終点の中央弘前駅まで乗ってみました。
 
弘南鉄道大鰐駅 弘南鉄道で終点の中央弘前駅まで
 
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