太宰治『津軽』 落ち穂拾い 2013年5月6日(月・祝)
5)五所川原 「太宰治と叔母きゑ『思ひ出』記念館」(仮称)

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 今日は五所川原から津軽鉄道に乗って、小泊の「小説『津軽』の像記念館」を目指します。

 太宰の叔母きゑは二人の夫と離婚、死別を経て、4人の娘と「やま源」に暮らしていましたが、娘のリエに婿養子を取りました。
 そして、太宰が7歳の時に五所川原に分家し、婿は津島歯科医院を開業しました。
 
 太宰はきゑについて「生みの母よりもこの叔母を慕っていた」と書いており、幼少時よりたびたび叔母の家を訪れました。
 『津軽』の旅でも、ハイカラ町の叔母の家を訪ねていますが、あいにく叔母は孫の看病のため留守でした。
 太宰は叔母の家に一泊して、翌朝一番の津軽鉄道に乗り、小泊のタケの元に向かったのでした。

 五所川原駅から真っ直ぐ進むと、中心市街地区画整備事業が進むロータリーに出ます。
 左の道を行くと津島歯科、右の道を行くと立佞武多の館があります。

 津島歯科は前回(2009年9月)に来た時から建て替えられており、新しい建物になっていました。
 ご盛業のようで何よりです。

 かつての津島歯科には古い蔵があって、太宰はこの蔵に寝泊まりしたそうです。
 解体の時にこの蔵は保存されており、現在「太宰治と叔母きゑ『思ひ出』記念館」(仮称)の建設計画が進んでいるそうです。
 「太宰治が過ごした蔵跡地」と書かれた、太宰ときゑの大きな看板が立っていました。
 
左が津島歯科方向、右が立佞武多の館 駅前ロータリー 駅の方向を見る
はいからな街 新しい津島歯科
太宰ときゑの大きな看板 アップ


 五所川原駅の向かいにある江南バス乗り場では「おやき」が有名で、かつてガイドブックや旅番組によく出てきます。
 内田康夫の『津軽殺人事件』(1991年)にも出てきましたので、25年近くは続いているようです。

江南バス乗り場 正面が「おやき」売り場
 
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