続・太宰治の『津軽』を巡る
(21)太宰治まなびの家 旧藤田家住宅 2009年9月22日(火)

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 弘前偕行社は弘前厚生学院の構内にあるのですが、弘前厚生学院の正門(?)の前に、『太宰治 まなびの家』が建っています。

 1927年(昭和2年)、官立弘前高校に入学した太宰治は、昭和5年までの在学期間を、遠縁である藤田家に下宿しました。
 本来、弘前市出身者以外は寮に入る事になっていましたが、太宰は病弱を理由に、藤田家に下宿したわけです。

 旧藤田家住宅は、松森町で酒造業を営む本家高島屋から分家する藤田豊三郎の住居として、1921年(大正10年)に建設されました。

 大正時代の特徴を残す数少ない建造物の一つとして、平成15年11月に市指定文化財に指定されました。

 本来の藤田家は北西に100メートルほど離れた場所にあったそうですが、道路工事のため平成16年10月から移築改修工事が行われ、平成18年から現在地で一般に公開されています。
 
弘前厚生学院 太宰治まなびの家


 太宰の居室となったのは、2階奧の押入・縁側・出窓が付いた6畳の部屋でした。
 太宰が使用した机、茶だんすなどもあり、彼がそこで生活していたことが実感されます。

 また、ふすま一枚隔てた手前の部屋は、中学生だった藤田家の長男本太郎氏が使用しており、太宰からは小説を読んで聞かせてもらったり、チェスを楽しんだりと、親交を結んでいました。
 また、本太郎氏は写真が趣味で、多くの太宰の写真が撮影されています。

 太宰はこの部屋で同人誌「細胞文藝」を執筆し、青森の花柳界に出入りして小山初代と出会い、1929年(昭和4年)12月10日には、最初の自殺未遂事件を起こしています。

太宰の居室  
 
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