続・太宰治の『津軽』を巡る
(22)旧青森中学校 合浦公園 2009年9月23日(水)

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 いよいよ『津軽』を巡るこの旅行も最後の日となりましたが、岩木山は晴れません。
 4日間も滞在して、晴天の岩木山を見ることが出来ないとは、想定外でガックリ来ました。

 やむを得ず、今日は岩木山と離れて、青森を訪れることにしました。
 金木第一尋常小学校を卒業した太宰は、なぜだか1年間金木の明治高等小学校に通いました。
 そして、大正12年(1923年)に県立青森中学校に入学しました。

 青森市内の太宰関連史蹟について書かれた資料は少ないのですが、僕には腹案 (^_^ゞ がありました。
 それは青森県近代文学館で資料を集めることでした。

 ところが、ここには簡単な展示室はあったものの、太宰関連の資料は手書きのチラシだけ。
 しばし呆然としました。
 
青森県近代文学館 展示室


 それでも出来ることはやってみようと、合浦公園駐車場に車を駐めて、青森中学校の跡を訪ねます。
 犬の散歩をしているおじいさんに尋ねましたところ、旧青森中学の正門まで案内して下さいました。
 後ろに見えているのはスコアボードです。

旧青森中学校の正門 正門コンクリートの土台


 旧青森中学校は今では青森市営野球場となっています。
 球場の前に石碑が建っておりまして、昭和25年6月28日に巨人の藤本英雄投手が、日本で初めての完全試合を達成したのだそうです。

日本で初めての完全試合 少年野球リーグ


 青森市営野球場の隣が合浦(がっぽ)公園です。
 合浦公園には色々な銅像や記念碑が建てられていましたが、太宰治に関するものは見つけられませんでした。

 太宰は『津軽』に「公園は、ほとんど中学校の裏庭と言つてもいいほど、中学校と密着してゐた。私は冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け、海岸づたひに歩いた。謂はば裏路である。あまり生徒が歩いてゐない。私には、この裏路が、すがすがしく思はれた。初夏の朝は、殊によかつた。」と書いています。

合浦公園入口  
  浅虫方面
 
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