続・太宰治の『津軽』を巡る
(23)堤川 旭橋 おもたか跡 豊田家跡 2009年9月23日(水)

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 ここからタクシーで、青森県近代文学館でもらったチラシを頼りに、青森市内の太宰治ゆかりの場所を探します。

 まずは、堤川にかかる旭橋。
 チラシによればこの橋が、『思い出』に書かれた下の文章の橋なのだそうです。
 『津軽』では、「作家にならう」という部分は部分は削除されているようです。

  私が三年生になつて、春のあるあさ、登校の道すがらに朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかつて、私はしばらくぼんやりしてゐた。橋の下には隅田川に似た廣い川がゆるゆると流れてゐた。‥‥(中略)そしてたうとう私は或るわびしいはけ口を見つけたのだ。創作であつた。ここにはたくさんの同類がゐて、みんな私と同じやうに此のわけのわからぬをののきを見つめてゐるやうに思はれたのである。作家にならう、作家にならう、と私はひそかに願望した。
 
作家にならう、と願望した旭橋 隅田川に似た堤川


◇おもたか跡

 弘前高校時代に小山初代(最初の妻となる)と密会を重ねた料亭「おもたか」は、浜町(今は本町2丁目)にあったそうで、青森県近代文学館でもらったチラシを頼りにタクシーでグルグル回ってみましたが、この辺りにあったのでしょうか。
 今では駐車場になっている、と書かれた本もありました。

浜町(今は本町2丁目) この辺りが「おもたか」跡か


◇下宿(豊田家)跡

 太宰が下宿したのは老舗呉服屋、豊田太左衛門家の2階でした。
 下宿跡は駐車場になっていましたが、広い新町通に面してプレートが建っていて、隣の常光寺がよい目印となるでしょう。
 下宿から青森中学校までは、2.5kmくらいでしょうか。

広い新町通に面して 太宰治のプレート
 
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