2014年信州紀行
3)旧制松本高校校舎&旧制高等学校記念館 2014年5月25日(日)

2)「阿弥陀堂だより」ロケ地  気まぐれ日本紀行14  ホームページへ  斎藤茂吉 & 北 杜夫 関連史跡
 
 
 飯山から松本に戻り、次に目指すは北杜夫が通った「旧制松本高校」です。
 「旧制松本高校」は松本駅から真っ直ぐ進んだ「あがたの森公園」にありました。

 旧制松本高等学校は大正8年の創立。
 戦後の学制改革で信州大学文理学部となり、校舎は昭和48年3月まで使用されました。
 同校卒業者には、政治、経済、文化に多くの人材を輩出しました。
 北 杜夫、辻 邦生(フランス文学)、熊井 啓(映画監督)、小塩 節(ドイツ文学)など。

 たまたま5月24日(土)、25日(日)は年に2日の (@o@) 「クラフトフェア マツモト」に当たっており、普段は静かであろう「あがたの森公園」は人で溢れかえっていました。
 
あがたの森公園 旧制松本高校校門
旧制松本高校本館 復元校長室
旧制松本高校講堂 天井からシャンデリア


 旧制松本高校校舎の奥に「旧制高等学校記念館」がありました。
 当初、旧制松本高等学校記念館として開設しましたが、学制改革から数十年が経過し、教育史上大きな役割を果たした旧制高等学校の資料が、全国的に散逸し、無くなっていく傾向にありました。
 そこで、松高ばかりでなく、他の旧制高等学校の資料も収集するため、平成5年7月、新たに旧制高校等学校記念館として開館しました。

 旧制高等学校とは今で言えば大学の教養部でしょうか。
 ほとんどの学生がそのまま旧帝大に進学できたため、勉強するよりも、有り余る青春のエネルギーを文化に運動に発散させる独自の土壌ができました。
 
 旧制松本高校の青春については北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」に詳しく、懐かしく書かれています。
 しかし松本高校で青春を謳歌した北杜夫さんも、2011年10月24日に死亡され(享年84歳)、人生のはかなさにうつ状態になってしまいます。
 
旧制高等学校記念館 制服姿の学生
内部の展示 思誠寮 復元寮室


 北杜夫さんは終戦後の混乱期に松本高校に入学しました。
 北杜夫さんは物理のテストに詩を書いて合格した(?)事がよく知られていますが、その答案(レプリカ)が展示されていました。
 
北杜夫についての展示 物理学の答案(レプリカ)


  僕等の物理学
             齋籐宗吉(27回理乙)
 恋人よ
 この世に物理学とか言ふものがあることは
 海のやうにも
 空のやうにも 悲しいことだ
 恋人よ
 僕はこんなに頭がよいのに
 この物理学のおかげでもって あなたから
 白痴のやうに思はれてしまった。
 あなたがそんなに心配さうに僕の顔をのぞきこむから
 僕は昨日死んだつもりになって
 生れてから三十分とつづけたことの無い物理の勉強を
 なんと六時間もやったのだ。
 僕はこんなに頭がよいし あなたの瞳も元気づけてくれたから
 たとへノートが七十八頁あったとしても
 参考書が二百四十五頁あったとしても
 活字の数が十三萬八千六百五十六あったとしても
 もういくら何だってできるつもりでゐたのだったが‥‥
 恋人よ
 僕が物理で満点をとる日こそ
 世界の滅亡の日だと思ってくれ
 僕等にはクーロンの法則だけあれば沢山だ
 二人の愛は距離の二乗に反比例する
 恋人よ
 僕等はぴったりと抱き合はう!(帝国藝術院賞受賞作品)


 窓からはよく手入れされた中庭が見え、館内のビデオでは北杜夫さん、熊井 啓さん、小塩 節さんがこの中庭で語り合う映像が流されていました。
 
 
気まぐれ日本紀行14  ホームページへ