音楽座ミュージカル 《マドモアゼル・モーツァルト》
我が歴史的考察

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 僕が音楽座ミュージカルを初めて観たのは、初演版《マドモアゼル・モーツアルト》の名古屋公演だから、1991年だったんですね。
 音楽座フリークに勧められて、面白半分で出かけたのですが、たいへん感銘を受けました。

 「モーツァルトが女だった」という原作の漫画は週刊誌やクラシック音楽の雑誌でも話題になり(僕はもともとクラシック好き)すでに読んでおりましたが、何といっても小室哲哉さんの音楽が素晴らしかった。
 また僕はバイオリン弾きなので(もちろんアマね)、バイオリンとピアノだけの伴奏であれだけの音楽が出来る、ということが大変嬉しかったですね。

 新聞記者がアメリカで発見されたモーツァルト(?)のオペラの楽譜を音楽教師の元に持ってきて、という二重構造にする必要はないと思いましたし、うろうろ動き回る精霊たちは目障りでしたが、上手くまとめれば世界に通用するミュージカルになるのではないかと思いました。
 たしかその年は『モーツアルト没後200年』でしたからね。

 ちょうどその頃、衛星放送の雑誌でこのミュージカルがWOWOWで放送されると知り、大急ぎでWOWOWに入りました。
 ビデオ録画してからしばらくは、毎日それを見て暮らしておりました。

 WOWOWでは 1991年12月5日(モーツアルト没後 200回目の命日)に Tokyo Bay NK Hall で行われた、小室さんとYOSHIKI の《マドモアゼル・モーツアルト・コンサート》もありました。

 また、TMNのスペシャル番組に土居裕子さんがゲスト出演して、小室さんのピアノ伴奏で《LOVE》を歌うということもあり、これは良かった。

 小室さんのCD《マドモアゼル・モーツアルト》も買いました。

 1992年の再演の時は名古屋公演を待ちきれず、青山劇場まで遠征しました(マチネが《マドモアゼル・モーツアルト》で、ソワレは《ミス・サイゴン》)。

 ところが、これが大変よろしくなかったんですね。
 おじさんのサリエリやベッドシーンにも違和感がありましたが、何よりも小室さんの音楽がうるさくアレンジされたり、カットされたり。
 代わりに《魔笛》の序曲を長々と演奏したり、パパゲーノとパパゲーナの二重唱を歌ってみたり。

 ミュージカルの役者がオペラ歌手の物真似をしてどうするんだ! そんなにオペラに未練があるのか!
 僕が東京まで遠征して来たのは小室哲哉の《マドモアゼル・モーツアルト》を聴きたいためで、モーツアルトの《魔笛》を聴きたければ『ロイヤル・オペラ』(ちょうどその頃イギリスから来日公演をしていたんです)に行くのに!! と憤慨したわけです。

 どうしても気がおさまらなかったので『月刊ミュージカル』に投書したら、(編集部の方に内容をソフトに変更されましたが)掲載されました。
 『月刊ミュージカル』に投書なんかしたのはあの時だけです。
 『僕の《マドモアゼル・モーツアルト》(と勝手に思ってるんですが)を返してくれ〜!』という心境でしたね。

 あの頃の『月刊ミュージカル』の投書欄には同じような意見がたくさん載っていました。
 『同じ題名で違うミュージカルを上演するのはサギだ!』なんて女性の投書もありまして、『分かる、分かる』と思ったものです。

 ラジオで放送されたこともありましたね。
 その時はまたお話が変わっていて、『僕の《マドモアゼル・モーツアルト》を一部の人がおもちゃにしている!』と音楽座の姿勢に不快感を持ちました。

 どうもそれからの音楽座の作品は僕には気に入らないものばかりで、《ホーム》で最終的にプッツンしてからは『音楽座拒否状態』が続いておりました。

 《マドモアゼル・モーツアルト》再々演の時(1993年)は、『初演に近い形に戻って、あれなら気に入ると思う』とも言われたんですが、結局行きませんでした。
 『僕の《マドモアゼル・モーツアルト》は僕の心の中にある、もうこれ以上おもちゃにされた姿は見たくない!』なんてキザなことを言ったりしてね (^_^ゞ。

 しかし今回の音楽座の脱税という不祥事による解散で、『あんなに好きだった《マドモアゼル・モーツアルト》を見ることが出来るのも今回(再々々演)が最後』ということなら、やはり話は別。

 見るのが怖いという気持ちもあったんですが、四日市まで出かけました。
 
 
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