東宝 《RENT》 への不安

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 月刊「ミュージカル」 12月号、46ページに、東宝 《RENT》のプロデューサー、小嶋麻倫子なる人物のインタビューが載っています。

 この記事に寄れば、エリカ・シュミットという演出家と一緒に《RENT》を創っていくという。
 これには仰天しました。

 アメリカで10年のロングランを続け、日本人ファンも慣れ親しんだ、マイケル・グライフの演出を変えてしまうなどということがあって良いのでしょうか?

 マイケルの演出はジョナサン・ラーソン自身も共同参画した、ジョナサンの遺品とも言うべき神聖なものです。

 自分ならそれ以上の演出が出来るという人がいること自体が僕には驚きですが、それが東宝公演のプロデューサーなんですから、これは悲劇と言うしかありません。

 小池修一郎は「ウィーンの《エリザベート》は難しいので、日本人向けに分かりやすくする」と言って、ミュージカルの内容を改竄し、東宝 《エリザベート》 を、現在の見るに堪えない舞台にしてしまいました。

 小嶋麻倫子も「分かりづらいところを分かりやすくする」と小池修一郎と同じことを言っている。
 その上、「映画版のいいところも取り入れる」とも言っている。
 あの失敗作のどこに「いいところ」があるというのか?

 RENTファンの僕にとっては、今回の来日公演の小さい変更でも受け入れられないんです。
 モーリーンがお尻を出さない《RENT》なんて (^_^ゞ。

 それなら、《レ・ミゼラブル》は分かりやすいのか?
 囚人だったジャン・バルジャンが黄色い通行許可証を破って、次の場面では市長になっているなんて、おかしいじゃないか。
 それでもファンは感動して、リピーターをするわけだ。

 《オペラ座の怪人》だって、《ミス・サイゴン》だって、《アイーダ》だって、分かりにくいところはあるでしょう?
 分かりにくいところは、ファンが自分で乗り越えていく問題で、演出家が作品のレベルを下げてはいけないんです。

 東宝に上演権を売り渡すということは、こういうことなんだ。
 《RENT》 も 《エリザベート》と同じ道をたどるのだろうか?
 
 この心配が杞憂に終わればいいが、現実になれば 「 IT’S OVER 」 だな。
 
 
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