ハンス・ロット:交響曲第1番 指揮:角田鋼亮
オストメール・フィルハーモニカー 2001年1月16日(日)

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 『名古屋マーラー音楽祭』第1部演奏会
 オストメール・フィルハーモニカー

 2011年1月16日(日)4:00PM
 愛知県芸術劇場コンサートホール

 指揮:角田鋼亮(つのだこうすけ)
 バリトン:原田 圭
 メゾ・ソプラノ:富岡明子

 マーラー:さすらう若人の歌
 ツェムリンスキー:メーテルランクによる6つの歌
 ハンス・ロット:交響曲第1番 ホ長調

 オストメール・フィルハーモニカーは東海学園交響楽団のOBオケで、名づけ親はウィーンフィルのオッテンザマー氏。
 オストが東で、メールが海かな。

 東海学園は愛知県の私立の雄で、海部俊樹元首相など政財界に多くの人材を輩出しています。
 東海学園は男子校で、当然ながらOBも男性ばかり。
 ウィーンフィルにも女性団員が増えた今となっては、世界でも珍しい男性ばかりのオーケストラです (^_^) 。

 指揮の角田鋼亮さんは東海高校のOBで、98年に東海学園オーケストラで自作のピアノ協奏曲を演奏したときは、名古屋のマスコミで話題になったものです。
 東京芸大修士課程を修了し、ベルリン音楽大学国歌演奏家資格課程に在学中。
 映画『のだめカンタービレ』では、千秋真一のピアノ演奏手元吹き替えを努めました (^_^) 。

 『名古屋マーラー音楽祭』がどうしてハンス・ロットの『交響曲第1番』から始まるかについては、コンサートマスターの高橋広さんによる詳細な解説があり、この曲は『マーラーの交響曲第0番』と通称されているそうです。
 高橋広さんの解説を要約させていただきます。

 ハンス・ロット(1858年8月1日生まれ)はマーラーより二歳年長で、ブルックナーに作曲を学んびました。
 1880年、21歳のロットは、作曲家の登竜門であるベートーヴェン賞選考での口利きを期待してブラームスに「交響曲第1番」の批評を乞い、手ひどい酷評を受けました。
 ブラームスの言葉に打ちのめされ、作曲家への道を諦めたロットは、合唱指揮者の職を求めてアルザス地方のミュールハウゼンに向かいました。

 ロットは電車に乗り合わせた旅行者がタバコに火をつけようとしたのを見て、ブラームスがこの電車に爆弾をしかけたと妄想し、その人物に拳銃をつきつけました (@o@)。
 そのままウィーン総合病院の精神科に入院させられたロットは、翌1881年に低地オーストリア州立精神病院に移され、二度ほど自殺未遂を繰返したのち、1884年6月25日朝に息を引き取りました。
 26歳の誕生日が目前でした。

 『交響曲第1番』の総譜は、長らくオーストリア図書館の蔵書として眠っていましたが、ロットの死からほぼ百年の時を経て、音楽学者のポール・バンクスに発見されました。
 1989年にゲルハルト・ザミュエル指揮のシンシナティフィルにより世界初演が行われました。

 初めて聴くハンス・ロットの『交響曲第1番』は、ブルックナーとマーラーの音楽をミックスしたような曲でした。
 特に第3楽章スケルツオは魅力的な、充実した楽曲かと思いました。

 驚くのは、ロットが『交響曲第1番』を書いた時代(1878~1880年)は、ワーグナーが《パルジフアル》第一幕を作曲中であり、ブラームスは交響曲第2番を、ブルックナーは交響曲第5番を書きあげた頃であったということ。

 ロットの『交響曲第1番』はこの時代としては斬新なオリジナリティに満ちたものであり、マーラーの交響曲第1番『巨人』(1889年初演)がこの作品から多くの影響を受けていることは間違いありません。
 
 プログラムには「ロットの曲がマーラーに似ているのではなく、マーラーの曲がロットに似ている」と書かれていますが、まったくその通りだと同感します。
 この曲を『名古屋マーラー音楽祭』の最初に企画した高橋広さんの、この曲に対する思い入れと、情熱溢れる解説にはいたく感心いたしました。

 角田鋼亮さん指揮するオストメール・フィルハーモニカーの演奏もこの曲の魅力を十分に伝えるものであり、良い機会を与えていただいたことを感謝しています。
 

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