今、よみがえる幻のヴァイオリンの音色
~日本のヴァイオリン王 鈴木政吉の物語~
2014年6月3日(火)1:30PM 宗次ホール

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 僕は鈴木鎮一先生が始められた才能教育でヴァイオリンを習いました。
 当時の教室では、鈴木のヴァイオリンと杉藤(すぎとう)の弓のセットが当然のことでした。
 その鈴木ヴァイオリンの創設者であり、鈴木鎮一先生の父親でもある「鈴木政吉の物語」というレクチャーコンサートに行ってきました。
 チケット(2000円)はソールドアウトで、キャンセル待ちの列が出来ていました。
 
 今、よみがえる幻のヴァイオリンの音色
 ~日本のヴァイオリン王 鈴木政吉の物語~

 2014年6月3日(火)1:30PM 宗次ホール

 井上さつき(お話)、小堀勝啓(朗読)
 江頭摩耶(ヴァイオリン)、戸谷誠子(ピアノ)

 講師の井上さつきさんは愛知県立芸術大学教授。
 フランス関係がご専門らしい。
 1900年(明治33年)パリ万国博覧会の楽器部門の受賞者リストに「ヴァイオリン、スズキ・マサキチ、ジャポン」とあるのを見て、衝撃を受けました。
 その後、鈴木政吉が名古屋の老舗、鈴木バイオリン製造株式会社の創業者で、元は三味線職人だったこと、そして才能教育「スズキメソード」を始めた鈴木鎮一の父親であったことを知り、がぜん興味が湧いてきました。

 しかし、鈴木政吉が作ったヴァイオリンを探すことは出来ませんでした。
 鈴木ヴァイオリンは工場で大量生産されたものとして、その価値が認められていなかったわけです。
 そこで中日新聞の「エンタ目」というコラムで呼びかけたところ、尾張旭市の松浦さんという小学校の元校長先生から連絡があり、政吉が1929年(昭和4年)、70歳を迎える年に製作した逸品に巡り会うことが出来たわけです。
 発見された政吉の楽器は、クレモナで活躍する松下敏幸さんによって修復されました。

 政吉のヴァイオリンでは、高松宮様から現皇太子殿下に譲られた作品(1926年)があるそうです。
 ヤフー!オークションを見てみると、1300円から7万円くらいの作品が出品されています。

 政吉や鈴木家、ヴァイオリン工場などの辿った道については、井上さつき「日本のヴァイオリン王 鈴木政吉の生涯と幻の名器」(中央公論社・2700円)をご一読下さい。
 労作だと思います。

 井上さんによれば、鈴木政吉の生涯は大きく三つに分けられるそうです。
 まず、幕末の1859年(安政6年)に尾張藩の下級武士の家(宗次ホールの近くだそうです (@o@))に生まれてから、三味線職人となり、ヴァイオリンに出会う1887年(明治20年)年までが第一期。
 その後、見よう見まねでヴァイオリンの製造を始めて、工場生産に踏み切り、大正年間の第一次世界大戦中に好調な輸出に支えられて事業を急激に拡大する1920年代半ばまでが第二期。
 そして、第三期は大正末年以降、三男鎮一がベルリンから持ち帰ったグァルネリを手本に高級手工ヴァイオリンの製作に乗り出し、「ヴァイオリン製作家」として新たな境地を開く時期。

 しかしながら、工場の経営はしだいに困難になっていき、1932年(昭和7年)に倒産。
 再建は息子の梅雄に託されました。
 その後も政吉は楽器の製作に励み、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)84歳の波瀾万丈の生涯を閉じました。

 本日はCBCアナウンサーの小堀勝啓さんによるナレーションと、江頭摩耶(ヴァイオリン)、戸谷誠子(ピアノ)のお二人による政吉の楽器の演奏がありました。
 楽器は少し大きめのサイズかと思いました。
 音については、僕には良く分かりませんでした。

 最後に鈴木鎮一作曲による、「前奏と名古屋の子守歌」が演奏され、これは興味深かった。
 その後、ステージに井上さんや楽器の持ち主松浦さんも登場され、大いに盛り上がりました。
 楽器は愛知県立芸術大学に寄贈されたそうです。