NHK交響楽団定期演奏会 愛知県芸術劇場シリーズ
2023年2月19日(日)3:00PM 愛知県芸術劇場 コンサートホール

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 NHK交響楽団定期演奏会 愛知県芸術劇場シリーズ

 2023年2月19日(日)3:00PM
 愛知県芸術劇場 コンサートホール

 指 揮:ヤクブ・フルシャ
 ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ

 ドヴォルザーク:序曲「フス教徒」作品 67
 シマノフスキ:交響曲 第4番 作品 60「協奏交響曲」
 ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 作品98

 ヤクブ・フルシャ(1981年~)は、チェコのブルノ出身の指揮者。
 プラハ芸術アカデミーでイルジー・ビエロフラーヴェク、ラドミル・エリシュカらに指揮を学びました。
 バンベルク交響楽団首席指揮者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者、東京都交響楽団首席客演指揮者。
 2011年年に『グラモフォン』誌で、「大指揮者になりそうな10人の若手指揮者」のうちの1人に選ばれました。
 2025年から英国ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督に就任する予定だそうです。

 ピョートル・アンデルシェフスキは1969年、ポーランド人とハンガリー人の両親のもとワルシャワに生まれました。
 ポーランドの作曲家シマノフスキの『協奏交響曲』は2006年にシャルル・デュトワの指揮でN響と共演しており、愛好曲のようです。

◇ドヴォルザーク:序曲「フス教徒」作品 67

 ヤン・フスは15世紀初頭に宗教改革を行い、身の安全を保証されながら出席したコンスタンツ公会議(1415年)で火刑に処せられましたた。
 フス教徒はヤン・フスの支持者であり、1420年~1434年の間、チェコに独立政権を打ち立てました。
 マルティン・ルターが「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の門に打ち付けたのが1517年10月31日。
 ルターの1世紀前に、フスは宗教改革を唱えていたのですね。

 僕は2004年5月にプラハを訪れましたが、観光の中心地である旧市街広場に大きなヤン・フス像が建っていました。
 チェコ独立のシンボルのようです。

 序曲「フス教徒」はフス派を主題とする演劇の序曲として作曲されました。
 演劇は完成しませんでしたが、序曲は1883年に発表されました。
 スメタナの『我が祖国』にテイストが似た音楽で、予習では退屈しましたが、実演はなかなかの演奏かと思いました。
 フルシャは指揮棒を持たず、指揮をしました。

◇シマノフスキ:交響曲 第4番 作品 60「協奏交響曲」

 シマノフスキというと「アレトゥーザの泉」位しか知らないんですが……。
 シマノフスキ(1882年~1937年)はかつてポーランド領でありながら当時はロシア領だったウクライナに生まれ、長じてワルシャワ音楽院の院長を務めました。
 交響曲 第4番は院長辞任後に作曲され、親友の大ピアニスト、アルトゥール・ルビンシュタインに献呈されました。

 この曲はまったく分かりませんでした。
 ピアノ協奏曲の形態なのですが、ソロがオーケストラに埋もれる部分が多かったですね。
 しかし、このような曲を暗譜で演奏するとはアンデルシェフスキは凄い。
 ソロアンコールはバッハのパルティータで、これは美しかった。
 もっと違う曲で聴いてみたいピアニストでした。

◇ブラームス:交響曲 第4番 ホ短調 作品98

 ブラームスは1884年と1885年の夏にミュルツツーシュラークに滞在し、「交響曲第4番」を作曲しました。
 僕はアマオケでこの曲を演奏したことがあって、1884年に作曲された第1,第2楽章は名曲だが、第3,4楽章は霊感の枯渇した大作曲家が力任せに作曲した曲だと感じています。
 ブラームスは友人から第3楽章を書き直すように忠告されたそうですが、書き直すことはしませんでした。

 フルシャは譜面台なしで指揮をしました。
 第1,第2楽章はアマオケでもこれくらいの演奏はできるのではないかと思って聴いていましたが、第3楽章の途中からグッと盛り上がって、華々しいフィナーレとなりました。

 僕は1991年8月6日にシュタイヤーマルク州のミュルツツーシュラークを訪れました。
 ブラームスが滞在した家が、この春「ブラームス記念館」として開館したのです。
 この記念館を訪れた最初の日本人(の1人)ですね。
 記念館を出るときに受付嬢に「ミュルツツーシュラークの名前は日本では全く知られていないが、この記念館のために音楽ファンによく知られるようになるであろう」と言ったところ、彼女はたいへん喜んでくれたのですが、この予言はあまり当たらなかったようで…… (^_^; 。
 ここでもう一度宣伝させていただきます m(_ _)m 。