名フィル第518回定期演奏会 沼尻竜典、清水和音
2023年12月9日(土)4:00PM 愛知県芸術劇場コンサートホール
 
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 名フィル第518回定期演奏会
 2023年12月9日(土)4:00PM
 愛知県芸術劇場コンサートホール

 指 揮:沼尻竜典
 ピアノ:清水和音
 首席客演コンサートマスター:荒井英治
 首席オーボエ:本多啓佑(東京シティ・フィル)

 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調
 フランツ・シュミット:交響曲第2番変ホ長調

 清水和音さんは予定されたアンドレイ・コロベイニコフ氏不慮の怪我のため変更。
 ベートーヴェンは美しい弱音が印象に残る演奏でした。
 小さい音なのに3階最後席まで飛んでくる。

 週刊文春今週号(12月14日号)の「阿川佐和子のこの人に会いたい」は藤田真央さん。
 藤田さんによれば「フォルテを弾く時よりもピアニッシモの方が力を入れる」とのこと。
 藤田さんは移動中に原稿を書くそうで、文藝春秋今月号(2024号1月号)にエッセイを書いておられますし、『指先から旅をする』という本が出版されました。

 この本がやたら面白い。
 クララ・ハスキルコンクール優勝から世界を駆け巡る現在までの人のつながりから、ピアノ演奏への考え方。
 ヴェルビエ音楽祭ではクラウス・マケラとユジャ・ワンが一緒に食事をしていたなどという話も出てきます。

 清水和音さんに話を戻して、ソロアンコールはショパンの『革命ポロネーズ』。
 これはベートーヴェンと違い豪壮華麗な演奏で、会場全体に音楽が鳴り響きます。
 この曲は僕がショパンで最初に聴いた曲かと思いますが、改めて圧倒されました。
 今は若いピアニストが人気で、それはそれで結構なことかと思いますが、清水さんは大家だと思いました。

 フランツ・シュミットの交響曲第2番はプログラムの小宮正安さん(横浜国立大学教授)のコラム「忘れられた巨人シュミット」が大変役に立ちました。
 名フィルでは第403回定期演奏会(2013年6月15日)にティエリー・フィッシャーの指揮で「交響曲第4番ハ長調」が演奏されています。

 フランツ・シュミットは1874年にプレスブルク(現ブラティスラバ)で生まれた。
 1888年、家族と共にウィーンへ移住。
 ウィーン音楽院にてチェロと作曲を学ぶ。
 1896年(22歳)、グスタフ・マーラー率いるウィーン宮廷歌劇場のチェリストとなる。
 シュミットは厳しい指導者だったマーラーには愛憎半ばする感情を抱いていたということです。

 1896年から1899年に「交響曲第1番」を作曲する。
 1911年にウィーン音楽アカデミーのチェロ、ピアノ、対位法、作曲の4分野の教授となる。
 マーラーが死亡した1911年にシュミットは本日演奏された「交響曲第2番変ホ長調」に取りかかり、1013年に完成。

 歌劇場管弦楽団は1914年に退くが、同年に第一次世界大戦が勃発。
 1918年ハプスブルク帝国は敗戦し、ウィーンは小国オーストリアの首都に陥落する。

 シュミットはウィーン音楽の継承と発展に尽くし、1925年から1927年までウィーン音楽アカデミーの校長、1927年から1931年は高等音楽院の院長を務めました。
 
 実にウィーン音楽界の大物ですね。
 記憶に無いんですが、僕は2004年1月2日にシュミットのお墓を訪れたみたいです。
 僕は彼の名前も知らなかったけれど、福原信夫先生の指示に従って、写真は撮ってあるんですね。

 ウィーン音楽界の大物シュミットですが家庭的には恵まれませんでした。
 最初の妻カロリーネは1919年に精神の病で病院に入り、離婚することになります。
 更なる不幸が起きたのは1932年、カロリーネとの娘エンマの出産直後の死です。
 「交響曲第4番」は娘へのレクイエムとして1932年から翌年にかけて作曲されました。
 シュミットは1923年に再婚しますが、彼自身が多くの病を得て、1937年にはウィーン音楽アカデミーの教職を離れることとなります。

 ドイツではヒトラーが台頭し、1938年オーストリアはドイツに併合されます。
 この時シュミットは併合を巡る国民投票で、賛成票を投じています。
 シュミットは1939年、ペルヒトルツドルフ(ウィーンの南隣)で65歳の生涯を閉じました。

 彼の死後も悲劇は続きます。
 精神病院に入院していた彼の最初の妻カロリーネは1942年にナチスの安楽死政策によって殺されます。
 第二次世界大戦後には、シュミットはナチスの協力者として、彼の作品は演奏されなくなりました。
 それから半世紀以上を経て、シュミットの再評価、再検証が始まったのが現状だそうです。

 「交響曲第2番」を聞いた僕の印象は、マーラーほど新しくは無いがベートーヴェンやブラームスに較べると形式的にまとまりが無い、というところでしょうか。
 シェーンベルクと同年齢だそうですが、聞こえてきたのは後期ロマン派風の音楽でした。
 不協和音の現代音楽ではありませんでした。
 僕はびわ湖のワグナー以来沼尻竜典さんを信頼しているし、名フィルも熱演で応えていました。

 舞台を見て驚いたのは9本並んだホルン群。
 そういえば首席の安土真弓さんは第92回日本音楽コンクールの審査員を務められたようです。
 ピアノの田村響さん、チェロの中木健二さん、声楽の笛田博昭さん、と東海勢は審査員として頑張っているようです。

 ホルンの話に戻りまして、余り多いのでちょっと調べてみました。
 1アシスト:三宅由花(愛知県立芸術大学)、第2:小椋順二(京都市交響楽団)、第3:柳谷誠(静岡交響楽団)、第4:和田博史(都響)、第5:向なつき(愛知室内オーケストラ)、第6:井上華(フリー)、第7:猪俣和也(団員)第8:津守隆宏(団員)。

 カーテンコールで沼尻さんは弦楽器1プルットの2人にコントラバスまで握手を求め、管楽器も1列目には握手を、そしてホルンは第4ホルンまで一人ずつ起立させるというもので、心が温まるものでした。