名古屋フィルハーモニー交響楽団第403回定期演奏会 指揮:ティエリー・フィッシャー ピアノ:イリヤ・ラシュコフスキー 2013年6月15日(土)4:00PM 愛知県芸術劇場 コンサートホール |
今月の名フィル定期演奏会、指揮者は名フィル名誉客演指揮者のティエリー・フィッシャー、そしてソリストは2012年11月に開催された第8回浜松国際ピアノコンクールの優勝者イリヤ・ラシュコフスキー。 難しそうな曲目が並んでいます。 名古屋フィルハーモニー交響楽団第403回定期演奏会 ![]() 2013年6月15日(土)4:00PM 愛知県芸術劇場 コンサートホール 指 揮:ティエリー・フィッシャー ピアノ:イリヤ・ラシュコフスキー 「ガイア」シリーズ <水-波に翻弄される舟> ・ラヴェル: 海原の小舟 ・プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番ハ長調 ・フランツ・シュミット: 交響曲第4番ハ長調 ・ラフマニノフ: ヴォカリーズ イリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリアのイルクーツクに生まれる。 5歳よりピアノを始め、1993年ノヴォシビルスク特別音楽学校に入学。 2000年ドイツ・ハノーヴァー音楽学校に入学。 現在はパリのエコール・ノルマル音楽院にてM.リビツキに師事。 2012年11月に開催された第8回浜松国際ピアノコンクールに優勝。 本戦では井上道義指揮の東京交響楽団の伴奏でプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を演奏し、優勝を果たした。 オーケストラの序奏が始まり、徐々にアッチェレランド、クレッシェンドしたピークで独奏ピアノが鋭く入ってくるのですが、最初の音を聴いて音が小さい、パワーが足りないと感じました。 昨夜ブルーノ・カニーノを聴いてしまった副作用でしょうか。 ソロアンコールはラフマニノフの《音の絵》より。 フランツ・シュミットは1874年にプレスブルク(現ブラティスラバ)で生まれた。 1888年、家族と共にウィーンへ移住。 ウィーン音楽院にてチェロと作曲を学ぶ。 1896年(22歳)、グスタフ・マーラー率いるウィーン宮廷歌劇場のチェリストとなる。 1896年から1899年に「交響曲第1番」を、1911年から1913年に「交響曲第2番」を作曲する。 歌劇場管弦楽団は1914年に退くが、1925年から1927年までアカデミーの校長、1927年から1931年は高等音楽院の院長を務めた。 1939年、ペルヒトルツドルフ(ウィーンの南隣)で65歳の生涯を閉じている。 プログラムによれば、彼自身あまり健康でなかった上に、最初の妻カロリーネは1919年に精神の病で病院に入っている(彼女は1942年にナチスの安楽死政策によって殺されている)。 フランツ・シュミットにさらなる不幸が起きたのは1932年、娘エンマの死である。 本日演奏される「交響曲第4番」は、出産直後に亡くなった娘へのレクイエムとして1932年から翌年にかけて作曲された。 1932年ってフランツ・シュミットは58歳 (@o@)? 娘を産んだのは後妻なのかな? いろいろ疑問がわいてくるけれど (^_^ゞ、ネット検索では分かりませんでした。 トランペットのソロ(宮本弦)で始まった「交響曲第4番」ですが、マーラーよりは少し古い感じ。 シェーンベルクと同年齢だそうですが、聞こえてきたのは後期ロマン派風の音楽でした。 聴いているときは「難しい、訳の分からない音楽だな」と感じていましたが、終わってしまえばレベルの高い演奏で、「貴重な音楽経験をさせて頂いた」とティエリー・フィッシャーに感謝でしょうか。 ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は1912年に作曲され、有名なソプラノ歌手アントニーナ・ネジダーノヴァに献呈されました。 1919年にオーケストラ用に編曲されました。 この「ヴォカリーズ」は一つ一つの楽器、一つ一つのフレーズにフィッシャーの意図が徹底された、ニュアンス豊かな素晴らしい演奏でした。 |