プラシド・ドミンゴ プレミアム・リサイタル
 2024年5月15日(水)6:45PM 愛知県芸術劇場コンサートホール

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 プラシド・ドミンゴ プレミアム・リサイタル

 2024年5月15日(水)6:45PM
 愛知県芸術劇場コンサートホール

 テノール/バリトン:プラシド・ドミンゴ
 ソプラノ:モニカ・コネサ
 指 揮: マルコ・ボエーミ
 管弦楽:セントラル愛知交響楽団

・ヴェルディ:歌劇《シチリアの晩鐘》より 序曲 ・・・ (オーケストラ)
・ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》より「祖国の敵」 ・・・ (ドミンゴ)
・プッチーニ:歌劇《トスカ》より「歌に生き、愛に生き」 ・・・ (コネサ)
・ヴェルディ:歌劇《マクベス》より「裏切り者め! 憐み、誉れ、愛」 ・・・ (ドミンゴ)
・プッチーニ:歌劇《蝶々夫人》より「ある晴れた日に」 ・・・ (コネサ)
・プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》より 間奏曲 ・・・ (オーケストラ)
・ヴェルディ:歌劇《イル・トロヴァトーレ》より 二重唱「よいか?~私の願いを聞いてください」 ・・・ (ドミンゴ&コネサ)

・ヘロニモ・ヒメネス (1854-1923)
 サルスエラ《ルイス・アロンソの結婚》より  間奏曲 ・・・ (オーケストラ)
・レベリアーノ・ソウトゥーリョ (1880-1932) / フアン・ベルト (1890-1931)
 サルスエラ《ソト・デル・パラルの女》より「幸せな時はもはや」 ・・・ (ドミンゴ)
・フェデリコ・モレーノ=トローバ(1891- 1982)
 サルスエラ《マルチェーラの女(ラ・マルチェネーラ)》より「ラ・ペテネラ」 ・・・ (コネサ)
・ハシント・ゲレーロ(1895-1951)
 サルスエラ《ロス・ガビラネス》より「私の村」 ・・・ (ドミンゴ)
・レベリアーノ・ソウトゥーリョ (1880-1932) / フアン・ベルト (1890-1931)
 サルスエラ《口づけの伝説》より 間奏曲 ・・・ (オーケストラ)
・マヌエル・ペネーリャ(1880-1939)
 サルスエラ《山猫》より「僕は闘牛士になりたいんだ」 ・・・ (ドミンゴ&コネサ)
・フランシスコ・アセンホ・バルビエリ (1823-1894)
 サルスエラ《ラバピエスの理髪師》より「パロマの歌」 ・・・ (コネサ)
・パブロ・ソロサーバル(1897-1988) 
 サルスエラ《港の酒場女》より 「そんなことはありえない」 ・・・ (ドミンゴ)

 ドミンゴも83歳だそうで、今日がプレミアム・リサイタルの最終日。
 ドミンゴを聴ける最後の機会かもしれません。
 チケット代は高かったけれど、思い切って行ってきました。

 しかし3階席にはタダの子供が多かった。
 チケット代が高すぎて売れ残りが多かったのでしょう。
 タダでで僕より良い席に座っているのはチョットね。

 ドミンゴといえば印象に残っているのは1988年のアサヒビールのコマーシャル。
 階段の上で歌う《アンドレア・シェニエ》の「ある日、青空を眺めて」。
 このコマーシャルは今でもYoutubeで見ることが出来ます。
 そして今日は敵役のバリトン、ジェラールというところに感慨深いものがあります。

 しかしドミンゴの声はバリトンというよりは、やはりテノール。
 実に豊かな声で当分は歌えそうです。
 舞台上の動作も若々しく、驚いてしまいます。

 モニカ・コネサはキューバ系アメリカ人のソプラノで、美人、スレンダーな容姿。
 28歳だそうですがモデルもしているのではないでしょうか。
 《トスカ》は声もスレンダーでしたが、徐々に調子が上がり、《イル・トロヴァトーレ》では十分にドミンゴに対抗していました。

 後半のサルスエラは歌って踊って、打楽器が大活躍。
 もちろん知らない曲ばかりですが、楽しい舞台となりました。

 本日がプレミアム・リサイタルの最終日ということもあってか次々とアンコールが繰り出され、8時30分の終演予定時間が9時30分近くになっていました。
 最後はドミンゴのスピーチ付きで「メリー・ウィドウ」の二重唱と「ベサメ・ムーチョ」。

 マルコ・ボエーミを初めて聴いたのは2003年3月30日の「ジュゼッペ・タッデイ コンサート」
 あの時タッデイは87歳だったでしょうか。
 本日も歌手に寄り添った指揮で、ショーマンシップもあり、舞台を盛り上げました。
 ほぼ一曲ごとにコンサートマスターと握手をしていたような……。

 セントラル愛知交響楽団にとっても大舞台だったでしょう。
 相手が世界のトップですからね。
 チェロのソロが多い曲目で、その度にスタンディング。
 ドミンゴがチェロのそばに立って、肩に手をかけながら二重唱(奏)する場面もありました。
 最終的にはドミンゴがコンサートマスターを連れて引っ込み、オーケストラも解散となりました。