12日はブレゲンツからインスブルック、ツィラータールと回って、ザルツブルグに泊まる予定。
朝8時、ホテルからスーツケースを押しながら駅に向かい、それをライゼゲペックとしてザルツブルグに向けて出す。
ライゼゲペックはダンボール箱につめるのか、とも思っていたけれども、スーツケースのままで大丈夫。
ヨーロッパでは日本では想像できないほど自転車で旅する人が多いようで、ライゼゲペックの荷物置場には沢山の自転車が並んでいる。
荷車にも自転車専用の部分があるようで、自分の乗る列車に自転車を積み込んでいる人も見た。
当時13才だったヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは1769年12月13日から、父親レオポルドと二人で第1回目のイタリア旅行を行った。
彼らは12月15日から18日まで、このインスブルックに滞在し、その後、ブレンナー峠を越えてイタリアへと向かった。
彼らがインスブルックで泊まった宿「ヴァイセス・クロイツ(白十字)」は、今でも街の中心ヘルツォーク・フリードリッヒ通りで営業している。
僕にとってはこのホテルを訪れることがインスブルック観光の最大の目的だった。 |
|
 |
ヘルツォーク・フリードリッヒ通りはインスブルック観光の中心となる通りで、「ヴァイセス・クロイツ」は「黄金の小屋根」に向って右側に建っている。(写真下)
外壁には「この家に1769年12月14日(15日の間違いだそうだ)から、ザルツブルグの宮廷楽長レオポルド・モーツアルトが彼の13才の息子、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトと共に滞在し、キューニグル伯爵邸でコンサートを開いた」という石版がはめられている。
またホテルの入口の壁には『この家に1769年12月14日から19日(15日から18日の間違いだそうだ)までヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが彼の父親と滞在した。彼は日記にINSPRUCKではweisen
Kreutzに泊まった、と書いている』と書かれた石版がはめらている。(写真下)
モーツアルトは冗談好きだから、インスPUルックと言ってみたわけだな。

「ヴァイセス・クロイツ」の1階はカフェ・レストランになっていて、2階にホテルのフロントがある。
彼らが泊まった部屋は2階の道路に面した部屋だそうだ。
道路に面したホテルのカフェでアイスクリームを食べる。ここからは《黄金の小屋根》の上にノルトケッテ山が良く見える。
前のページへ 旅行記の目次へ ホームページへ 次のページへ
|