野外オペラとオーストリアの旅(14)1993年8月13日
シュタインバッハ(マーラーの作曲小屋)
※アッター湖,交響曲第3番

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 シャフベルグ・バーンホフからバスに乗り、バートイシュルに到着したのは夕方の5時過ぎだった。
 バートイシュルはザルツカンマーグートの中心地だというが、町外れの駅前は閑散として数台のタクシーが駐車しているだけだ。
 5時を過ぎてもヨーロッパの夏はまだ明るいし、せっかくここまで来たのだから、ということでマーラーが交響曲第3番を作曲した、アッター湖畔のシュタインバッハに向かった。
 頼りになるのは新潮文庫の《マーラー》に載っている、彼が住んだ家と作曲小屋の2枚の写真だけだ。

 当時ハンブルグ市立劇場の指揮者だったグスタフ=マーラーは1893年から1896年の夏の休暇を妹のユスティーネや女友達のナターリエ=バウアー=レヒナーと共にアッター湖畔の村シュタインバッハで過ごし、交響曲第1番の改訂、交響曲第2番、第3番、「子供の魔法の角笛」の作曲をしている。

 バートイシュルを出発したタクシーは上り下りの多い山の中を走り続ける。
 そろタクシー料金が心配になってきた頃(このおんぼろタクシーにはメーターがない!)、突然山が切れて、目の前にアッター湖が広がった。
 アッター湖は我が国ではあまり有名ではないが、ザルツカンマーグートで最も大きい湖で、コバルトブルーの水を満々と湛えており、ヨットの姿も見える。

 シュタインバッハに入ってからは運転手と一緒に家と写真を見較べながら走る。
 と、左手にそのクリーム色の家はあった。「ガストホフ=フェッティンガー」という宿屋で、壁には「1893年から1896年の夏グスタフ=マーラーがこの家に住んだ」というプレートがはめられている。
 
マーラーの家と壁のレリーフ
  

 そこから左に曲がり、湖岸へ向かうとそこはカーキャンプ場だった。
 入口にいた人に作曲小屋の写真を見せると「湖岸にこの家はある」とのことでそこからは徒歩で湖岸に向かう。
 このカーキャンプ場には何百台ものキャンピングカーが停まっていて、車の間には洗濯物が干してあるし、水着姿の人が歩き回っているし、すごい雰囲気だ。
 「スラム」という言葉が頭をかすめる。
 マーラーの時代には当然この車は無かった訳だし、今でも秋になるとこの車は無くなる訳だが、そうなると一体どうなるのか想像もできないくらいだ。

キャンプ場 作曲小屋
 

 約200メートルで作曲小屋に到着。約10畳位の白い建物で、本当に湖畔に立っている。
 建物から見渡せば、左手にはコバルトブルーのアッター湖が広がり、ヨットが浮かんでいる。
 美しい夏の夕暮れだ。
 入り口から振り返れば、正面には切り立ったレンゲベルクの岩山が聳えている。
 右手遠くには先ほどまで頂上にいたシャフベルグが見える。

 指揮者のブルーノ・ワルターは、1894年から1896年までハンブルク歌劇場でマーラーの助手をつとめていたが、1896年の夏マーラーに招かれてシュタインバッハを訪れた。
 ワルターの回想によれば、このとき、汽船で到着したワルターが険しく聳(そび)えるレンゲベルクの岩山に眼をとめて感嘆していると、迎えにきたマーラーが「もう眺めるに及ばないよ。あれらは全部曲にしてしまったから。」と冗談ぽく語ったという。

 作曲小屋の中には2人の白人がいて古いピアノを弾いている。
 話を聞くとこのピアノはマーラーとは関係ないとのことで、彼らも観光客なんだそうだ。
 つまりこの小屋は入場無料で管理する人もなく、夕方6時になっても開いているということだ。
 中にはマーラーやブルーノ=ワルターの写真や、交響曲第3番の手稿が展示されている。
 部屋の窓からは美しいアッター湖が見渡せた。

 心配したタクシー料金はバートイシュルまで戻って500シリング(約5000円)。
 これは安いと思った。
 ザルツブルクへはアトナンク・プフハイムで乗り換え。
 クタクタになって、ホテルに戻る。
 

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