《エリザベート》とスイスの旅 1996年8月15日の2
ラクセンブルグ宮殿(ウィーン)

旅行記の最初へ  ホームページへ  次のページへ  エリザベートゆかりの地
 


 ヘルメスヴィラ観光後、地下鉄でU1の終点ロイマン・プラッツに移動。
 有名なアイスの『TICHY』でアイスクリームを食べる。
 注文を聞かれたが何も分からないので、ミックスを頼んでみた。
 これが量が多かった(^_^;。 ホイップクリーム付き。
 店の中には世界各地の観光写真が飾ってあるんだが、その中に弘前城を見つけたので、喜んで写真を撮ってしまう。
 服装からいうと、明治時代の写真か?

 店の前でタクシーを拾った。 11:25出発。
 ラクセンブルグ宮殿はエリーザベトが新婚時代を過ごした館で、ミュージカルでは、エリザベートの聴かせ所『私は私だけのもの』が歌われるところ。
 後にルドルフ皇太子もこの宮殿で生まれている。

 途中で運転手が道を間違えそうになったりしたが(僕が標識を見つけた ^_^ )、11:45にはラクセンブルグに到着。
 メーターは200シリングくらいなんだが、市外は割増料金になるようで、約300シリング取られた。。
 帰りのバスは、ウィーン1日乗車券を見せたら、17シリングだったので、笑ってやって下さい(^_^;。

広大なイギリス式庭園 フランツェンブルグ

 さて、さっそくチケット売り場に行って、『シュロス』と言うと『次のガイドツアーは2時だ』ということだった。
 2時からのガイドツアーでは、今日の予定もこれで終わりか、と覚悟を決める。

 どちらに行くのか聞いたら、目の前にある広大なイギリス式庭園に入っていくのだそうだ。
 で、そちらへ進んでいくと、さっそく道に迷ってしまった(^_^;。
 自分がどこにいるのか、全く分からない。 運河になんかに出てしまって。
 『ここはどこ? 私はだれ?』という状態だ

 会う人ごとに『シュロス? シュロス?』と尋ねてさまよい歩き、やっとたどり着いたところは池に浮かぶ島に立つ古いお城。
 それを見た瞬間、僕は彼らのシュロスが僕のシュロスと違うことを理解した。
 彼らのシュロスは、『地球の歩き方』に書いてある、フランツェンブルグだったのね(^_^;。

 あまりのことに、しばしカフェで休憩。
 僕はここで、この公園の地図が売られているのを発見した。
 その地図を見て、僕はいま自分がどこにいるのか、さっきの運河がどこにあったのか、全てを理解した。
 たった数百円で、自分のアイデンティティーを取り戻した気持ちだ(^_^)。

 さっそく受付までとって返す。
 途中の道から、受付の右側にマリア・テレジア・イェローの建物が見える(写真右 → )。

 実は、僕は最初から、この建物が目指すシュロスじゃないかと思っていた。
 で受付で尋ねてみると、やはり! この建物がフランツ・ヨーゼフとエリザベートの住んだ館だったのだ(^_^; !

 あの1時間以上にわたる僕の放浪は何だったのであろうか?
 しかし、僕はこの努力を無駄だとは思いたくない。
 僕ほどラクセンブルグの庭園を歩いた日本人は少ないと思うから(^_^;。
 エリザベートとフランツ・ヨーゼフも、きっと、あの庭園で乗馬をしたはずだ。
 この建物は、今は役所として使われているようで、一般公開はされていないということだった(i_i)。

 その後(2003年10月)、音楽ジャーナリストの牧野宣彦さんから次のようなメールをいただきました。
 エリザベートの住んでいたラクセンブルクの城はあなたの書かれた場所と少し違うようでした。
 あの森の入り口を背にして少し歩くと右に行く道があり、少し歩くと前は古い教会、その前に大きな立派な建物がありました。
 今は国際関係の機関になっているそうで、日本人のかたも働いていました。
 出てきたオーストリア人の女性にここがエリザベトの住んだ場所か質問したらそうだと教えてくれました。
 建物の入り口の外壁に皇太子ルドルフが生まれた事が書いてありました。

 牧野さんのアドバイスに従い、僕が再チャレンジしたのは2008年の8月になってからでした。

 旅行記に戻って‥‥
 帰りのバスは時刻表では15分おきに来るはずなのに、1時間あまりも待たされ、雨は強くなるし、いささか滅入った。
 今夜のシェーンブルン宮殿の野外オペラ《ドン・ジョバンニ》の見通しも暗そう。

 でも、ウィーンに着いたら、そこは快晴だった。
 ガイドツアーをさぼったおかげで、僕にはまだ1時間あまりの時間がある。
 ということで、次の目的地、カイザー・グルフトに向かう。
 


旅行記の最初へ  ホームページへ  次のページへ