ロンドン・ミュージカル紀行 1998年1月1日(木)
12) 《レ・ミゼラブル》 パレス劇場

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 倫敦レポート《レ・ミゼラブル》

   《レ・ミゼラブル》 パレス劇場
  1998年1月1日(木)2:30PM

    JEAN VALJEAN:STIG ROSSEN(スティッグ・ロッセン)
        JAVERT:ETHAN FREEMAN(イーサン・フリーマン)
       FANTINE:SILVIE PALADINO
     THENARDIER:NICK HOLDER(ニック・ホルダー)
 MADAM THENARDIER:TANIA NEWTON(?)
      GAVROCHE:JOSEPH ACRES
        EPONINE:ALICIA DAVIES(?)
        COSETTE:ANNALENE BEECHEY
       ENJOLRAS:GLYN KERSLAKE
       MARIUSU:GRAHAM MACKAY-BLUCE
       GRANTAIR:TIM MORGAN

 プログラムにメンバー交代の紙が入っていなかったので安心していたんだが、開演直前になんだか放送があって、どうもキャストの変更があったらしく、パ
ニック。
 最後に『サンキュー』と言われてもな~ (^_^;。

 休憩時間にロビーに掲示されたキャスト表を見てみたんだが、出演者の名前がアトランダムに並んでいるだけ。
 出演者は多いし、とても確認できなかった。

 プログラムの写真を見ても、化粧すると変わってしまうし‥‥。
 ということで、上記のキャスト表も自信なし (^_^;。
 エポニーヌとマダム・テナルディエはアンダースタディだったと思うが。

 バルジャン役のロッセンはパーフェクト。
 コペンハーゲンの出身で、《レ・ミゼラブル》アジアツアーのバルジャンだったというから、見た人があるかも。
 巨体で『監獄にいたにしては栄養状態がいいんじゃないか?』とも思ったが、力持ちのバルジャンにはぴったりとも言える。
 声質はバリトンで、深々とした低い音からファルセットのハイトーンまで、言うことなしだ。
 また細やかな役作りで、ちょっとしたリアクションなど感心することばかりだった(島田さんのエポニーヌみたい)。
 僕には『理想のジャン・バルジャン』と思われた。

 ジャベールのイーサン・フリーマンは、映画《アマデウス》のサリエリに似た容貌。
 NY出身で、ウィーンのアカデミーを卒業。
 日本にもファンが多いはず。
 この人も良かった。

 ファンティーヌのパラディノは少し落ちる。
 岩崎さんや伊東さんの方が好き。
 『夢を夢見て』も泣けなかったのが残念。

 テナルディエのホルダーは、スキンヘッドの肥満体 (@o@)。
 腕には東洋風の入れ墨があり、富士山まで書かれている (@o@)。
 でも、この人すごく上手。
 軽々とこなす、という印象。

 死体から金歯を抜くところで、死体が持ち上がったのは生々しかった。
 マダム・テナルディエはアンダースタディだと思うんだが、ホルダーにくっついていれば大丈夫。

 ガブロッシュの子供もすごく上手。
 エポニーヌはアンダースタディだと思うんだが、本田さんタイプの美人。
 健気だが、島田さんにはかなわないな。

 アンジョルラスも良かったんだが、女性ファンにお勧めはマリウスのマッケイ・ブルース。
 金髪巻き毛のハンサムで、歌も上手。
 それに較べるとコゼットは少し物足りなかった。
 もちろん『ハイトーンが出ない』などというレベルとは違うが。

 演出は原則として日本と同じだが、何カ所か『おや?』と思うところがあったので、それについては項を改めて書きたい。

 全体としてこの《レ・ミゼラブル》は素晴らしかった。
 というより、最高だった。
 『《レ・ミゼラブル》はロンドンに限る』とアドバイスしたい。
 舞台となったパリと同じ西洋人が演じているということが、『本場物』という印象を強くする。
 特に日本との違いを感じたのは学生たちだが、それについても項を改めて書きたい。

 最後は1階の真ん中から後ろはスタンディングオベージョン。
 僕の席は前から3列目(いつも日本では、一番後ろで見ているのに (^_^;)。
 僕も立ち上がって、感謝の気持ちを表したかったんだが、周りが立ってくれないと、とても無理だな。
 恥ずかしがり屋だから (^_^;。

 感激も醒めやらぬままホテルに戻ったら、日本語TV『ときめき夢サウンド』で、島田さんと石井さんが歌っていて、びっくりした (^_^) 。


◇学生たち( DRINK WITH ME )

 ロンドンの舞台を見て、キャストによっては『日本の方がいいんじゃないか?』と思われた人もいたんだが、圧倒的にロンドンの方が優れていると思われたのが学生たち。
 ここではその例として『 DRINK WITH ME 』を挙げてみたい。

 この曲は大きく3つの部分に分けられると思うんだが、その第一部は、昔の女友達のことを思い出したりして、はしゃいだ雰囲気。
 バリケードの中での高揚した気持ちもあろう。

 第二部は舞台上手の椅子に座っていたグランテールによって歌い出される。
 彼は酒瓶を持って立ち上がりながら『 DRINK WITH ME 』と歌い始める。
 『 GONE BY 』まではおどけた調子で、周囲の学生たちも囃し立てる。
 ところがここで彼の調子ががらっと変わり、突然『死ぬのが怖いんじゃないのか?』と、すがるように問いかける。
 ここで周囲の学生たちは凍り付いてしまう。
 そしてグランテールは『死は無駄なんじゃないか?』と歌い続け、最後は突っ伏して泣き出してしまう。

 そして第三部、周りの学生たちは気を取り直すように、『 DRINK WITH ME 』と歌い始めるんだが、彼らはもう死の恐怖心から逃れることは出来ない。
 バリケードから降りてきたアンジョルラスは泣いているグランテールの手を取る。

 グランテールは顔を上げ、見つめ合う二人。
 『しっかりしろ!』『ああ、分かっている』そんな会話が目と目で交わされ、グランテールは立ち上がり、よろよろと元の椅子に戻る。

 日本では、第二部でグランテールが歌い出したときに、彼がどこにいるのか探さなくてはならないほど、グランテールに存在感がないのは歯がゆい。
 東方のスタッフはロンドンの舞台を見たことがないのか?

 あと日本との違いとして、学生たちは大砲で飛ばされていたが、これは原作通り。
 アンジョルラスが撃ち倒された時にグランテールがどのような反応をしたのか、見逃したのが残念だ。
 このバリケードの中はあまりにも多くの人間関係が絡まっていて、とても一度ではそのすべてを把握できない。
 最低でも3回(?)は観ないとね。

 それから、ロンドンの舞台は、学生の服装が日本と違う。
 僕は学生たちを服装で覚えていたので、よく分からなくて困った。
 司教様の髪も薄くないし (^_^;。
 工場長は分かったけれど。
 ロンドンの学生たちを見分けるためには、ポイントとなる歌詞を覚えていく必要があるだろう。

 弾を取りに行ったガブロッシュを見つめる学生の数が少なかったのは、気に入らなかった。


◇胸の囚人番号

 開幕のシーン、ロンドンでも囚人たちは(日本と同じように)舞台奥から出てくる。
 で、最初に日本公演との違いに気が付いたのが、バルジャンの胸の大きい囚人番号。

 原作ではバルジャンの胸に囚人番号は無いのに、どうしてミュージカルではこの様な設定にしたのだろうか?
 そのためにいろいろ不都合なことが起こってくる。

 《その1》
 裁判の場面で、もちろんバルジャンはシャツの胸を拡げて『24601~』と歌うんだが、いったいここの警察はバルジャンと疑った男の胸の囚人番号は調べなかったんだろうか?
 そこにはバルジャンの囚人番号は無いのだから、裁判になる筈がないだろう?

 《その2》
 パリになってからの話だが、テナルディエがジャベールに『あの男の胸には焼き印がある』とか歌うでしょう?
 日本公演を見たときは、なぜテナルディエがバルジャンの胸に囚人番号があることを知っているのか不思議だったんだが、ロンドンの舞台ではそれに対応する演出があり、これはなかなか衝撃的だった。

 パリの最初の部分、テナルディエがバルジャンを襲う場面で、テナルディエは押さえつけたバルジャンのシャツの胸を開き、囚人番号を会場の観客に見せつける (@o@)。
 なるほど、これなら『あの男の胸には焼き印がある』という歌詞の謎は解決するかもしれない。

 しかし、ここで新たな謎が浮かび上がる。
 この時点で、テナルディエはバルジャンのことを『コゼットを連れていった男』としか認識していないはずだ。
 それなのに、なぜテナルディエはわざわざバルジャンの胸を開けるのだろうか?

 もう一つ。
 パリの街中で、胸の囚人番号を晒されたバルジャンを見て、コゼットはどう思ったのだろう?
 彼女はすでに胸の囚人番号を知っていたのか?
 バルジャンは彼女にこそ、そのことは知られたくなかったんじゃないか?
 もし彼女が胸の囚人番号を知らなかったのなら、あの事件は彼らの人間関係を変えてしまうほどインパクトのある事件なんじゃないだろうか?

 僕が思うに、囚人番号のエピソードはすべて無くした方がすっきりするね。
 説明しようとすればするほど泥沼にはまるようだし、僕のようにいろいろ悩みが増える人もいるだろうから(いないか (^_^; ?)。
 もともと原作にはなかったんだし。

 それから『ワン・デイ・モア』の時に、マリウスとコゼットが抱き合っていたのは奇異に感じた。
 彼らはこの時には実際に会うことは出来るはずも無く、向かい合って歌うのは心の中の問題ではないのか?
 心の中で、抱き合っているのか (^_^;?
 
 
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