バッハ街道の旅(6)2000年5月3日(火)
ドレスデン(ワグナー&ウェーバー)

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 ◇ワグナー記念館

 ワグナー記念館とウェーバー記念館はエルベ川を遡ったピルニッツ宮殿の近くにある。
 ガイドブックに『開館16時まで』と書かれていたので、運転手さんは飛ばす飛ばす。
 『あと15分、あと10分』なんて言ってくれるわけだ。
 しかしさすがはワグネリアン、彼はこの家を知っていたのね。
 だから最短距離で来ることが出来たわけだ。
 15時50分、ワグナー記念館に到着。
 所要時間30分。40DM(2000円)。
 
ローエングリンハウス ワーグナーの胸像

 しかし、なんと!、記念館は閉まっていた (@o@) 。
 『16時まで開館だけれど、入館は15時まで』と看板が掛かっているんだな。
 タクシーに乗った時点で、もうタイムアウトじゃないか (^_^;。
 ガイドブックの記載はしっかりしてもらいたいものだ。
 しかし、ゼンパーオパーの楽長だったワグナーが、意外に遠くに住んでいたのには驚いた。
 馬車ではかなり時間がかかったのではないだろうか?
 彼はこの家でオペラ《ローエングリン》を作曲した。
 向かいの公園に彼の胸像が建てられていた。


 ◇ウェーバー記念館

 続いてウェーバー記念館へ。
 この家はピルニッツ宮殿をはさんでワグナーハウスの反対側にある。
 ここは17時まで開館で、無事に見学できた (^_^) 。
 内部にはミニコンサートが出来るような部屋もあった。
 ウェーバーはこの家で《魔弾の射手》《オイリアンテ》などを作曲した。

ウェーバー記念館 その内部


 続いて街に戻り、ウェーバーのお墓参りで、カトリック墓地へ。
 ウェーバーは1826年に《オベロン》初演のために滞在していたロンドンで、結核のために死亡した。
 1844年、楽長ワグナーの尽力で遺骨はドレスデンに戻された。
 墓地にはお墓マップがあるので、彼の墓を探すのは簡単だろう。



 この道 ↑ を行くと、ウェーバーの墓 → がある。
 周りにはカロリ−ナ・マリア、マチルデなど、
家族の墓も並んでいた。 
 ウェーバーが生まれた北ドイツ・オイティンの家
はちょうど一年前に見た。


 運転手さんはさすがワグネリアン。
 墓地の前の家にワグナーが住んでいたと教えてくれた。
 確かに壁に『1847〜49、ワグナーがこの家に住んでいた』というプレートがかかっていた。
 この家のことは日本のガイドブックには書かれていないので、この運転手さんに当たったのは本当にラッキーだった (^_^) 。



 ワグナーハウス(写真上 ↑)

 壁に『1847〜49、ワグナーがこの家に住ん
でいた』というプレート(写真右 → )がかかっ
ている。

 ここでタイムアップ。
 一日でこれだけ回れば上出来だろう (^_^) 。
 ホテル・メルキュールネヴァにチェックイン。
 運転手さんにはチップ込みで1000マルク(5000円)を渡して、にこやかに別れる。
 『オペラを楽しんでくれ』と言われたな (^_^) 。
 メルキュールネヴァはドレスデン中央駅から、すぐに見える高層ホテル。
 新しくて、良いホテルでしたよ。


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