バッハ街道の旅(12)2000年5月5日(木)
ケーテン 1 (バッハ記念館) 

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 今日はバッハが1717年から1723年(32歳から38歳)まで住んだケーテンと、ヘンデルが生まれたハレの街を訪れる。
 IR(急行列車)では、ハレの次がケーテンになるが、まず先にケーテンから。
 『バッハ街道の旅』だからね (^_^) 。
 この街でバッハはアンハルト・ケーテン候レオポルトの宮廷楽長を務め、ブランデンブルグ協奏曲を始めとする器楽曲を作曲し、妻のマリア・バルバラを失い、アンナ・マグダレーナと再婚した。

 8:42 ライプツィッヒ発、リューベック行きのIRに乗り、9:31 ケーテン到着。
 ケーテン駅の周囲には何もないし、街の地図も分からない。
 仕方がないのでタクシーに乗った。
 頼りになるのは『新潮文庫 カラー版 作曲家の生涯 バッハ』(440円)だけ。 ケーテン城まで7.40マルク(370円)。

 ケーテン城は、全く廃墟というのにふさわしい佇まい。
 堀にかかった橋を渡り、正門から入ると、そこは中庭。
 
ケーテン城入口 ケーテン城中庭


 右側の建物が歴史博物館になっていて、その壁にバッハのレリーフを発見(写真右 → )。
 このレリーフは『新潮文庫 バッハ』の表紙になっているので、僕にとっては重要な発見であった (^_^) 。

 歴史博物館は二階にあり、ケーテン候の肖像画や楽器などが展示されていた。
 バッハの楽譜もあったと思う。
 あちこちたくさんのものを見たので、記憶が混乱してしまって (^_^ゞ 。
 『この建物でバッハが生活していたのか』と思うと、その場に自分が居ることに感激してしまう。
 古ぼけた外観に較べ内部は良く手入れされており、いかにも宮殿らしい雰囲気で、コンサートが出来るホールもあった。
 『写真を撮って良いか?』と聞いたら、5マルク取られた。

コンサートホール 記念館内の展示

 カッサの壁には『Bach−Abel Wettbewerb(バッハとアーベルの競争)』というポスターが貼られていた。
 クリスティアン・フェルディナンド・アーベルはケーテン楽団の名チェリストで、バッハは彼のために無伴奏チェロ組曲を作曲した。
 

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